Two Valleys - Yosemite


ヨセミテ、YOSEMITE...

耳にするたび、その響きになぜかくすぐられるような気分になる不思議なことば。
多分それは中学生のときの英語の教科書の、たしか一番最初に出てきたのではなかったかなぁ・・・と記憶しています。

アメリカなのに何だか英語じゃないような不思議な耳障りで、しかもそれは自然公園の名前?けれども公園といってもその辺にある〇〇公園とはなにか様子が違うような・・・
アメリカの自然保護目的の広大な国立公園という概念がまるでピンと来なかったあの頃の私にとって、それはボンヤリとした謎となり、「ヨセミテ」というこれまた不思議な音とともにずっと私の中に残っていたようなのです。

そこで今回サンフランシスコに行くことになって、まず訪れてみたいと思ったのがそのヨセミテでした。

シエラネバダ山脈の中央に位置するヨセミテ国立公園は、サンフランシスコからは車で片道約4時間ほどの距離にあります。本当ならば現地にゆっくりと滞在してみたかったのですが、今回は予定が立たず日帰りの旅に。
そのため朝早くに出発したのですが、ちょうどベイ・ブリッジを渡る頃に陽が昇り始め、振り返るとサンフランシスコの街が朝焼けに包まれていてとてもきれいでした。

久しぶりの長距離ドライブは移りゆく景色を色々と眺められて楽しくて、なんだかニューメキシコにいた時のことを思い出しました。あの頃はワイルドな遠出をよくしたものだなぁ・・・。
それに比べると、カリフォルニアは道中とくに不便なこともないし、お腹がすいたらどこかしら食べに行けるところもあってまだまだ便利だな、という印象でした。

自然のアート。

車の旅の良いところは、ちょっと気になったところにすぐに立ち寄れるところです。
上の写真はそんなふうにして立ち寄ってみたヨセミテ渓谷に入る少し手前の大きな川のほとりなのですが、水の綺麗さもさることながら、その川縁の土が浸食されてとてもユニークな形になっていて面白いなぁと思いました。
いつもながら、こういった自然の造形には、ほんとうに感心してしまいます。

その後しばらく車を走らせてようやくヨセミテ国立公園内に入ると、なんだかきな臭い匂いがすることに気がつきました。
良く見てみると、周りには焼け焦げた木々、そしてところどころに緑色の消化剤のようなものが撒かれていて、あぁ山火事があったのだと思いました。
そしてそれは結構な広範囲に渡っている様子・・・

 やっと車を停めて写真を撮れたのは、まだ被害の軽い場所。
燃えずに済んだ部分もあるけれど、手前の大部分の木々が炭になってしまっている。

後で知ったのですが、9月の半ばにハンターの火が原因で、大規模な山火事が発生していたのだそうです。
ひと月半ほども経つというのにまだまだ火の燻るような気配があり、車の窓を閉めていても灰の匂いが鼻を突くほど。そして未だに消火活動が続けられていたのでした。

ニューメキシコにいた時に、お隣のアリゾナで大規模な山火事が発生したことがあったのですが、その時私はそのことを知らずに、ある朝起きて窓を開けたら目の前の景色が一面セピア色になっているのでとても驚いたことがありました。自分の目がおかしくなったのかと思って、思わずゴシゴシと漫画のようにこすってしまったくらいです。
何か焦げたような匂いもするし変だなぁと思っていたのですが、なんとそのアリゾナの山火事の煙と灰が、ニューメキシコにまで流れてきていたせいだったのです。
その灰のおかげで私も飼い猫もアレルギー症状のようなものが出てしまい、数日間大変な思いをしました。

またある夜は、窓から真っ暗闇の中に何か火のようなものが見えて、なんだろう、京都の五山の送り火みたいだなぁと思っていたらすぐ目の前の山が燃えていた・・・ということもありました。

アメリカの中西部は常にこうした山火事の危険性があって、所々に「今日の山火事危険度」のようなサインがあちらこちらで見られます。


山火事のゾーンを抜けると、だんだんと「渓谷」らしくなってきました。
ヨセミテ国立公園において、ほとんどの観光客が訪れるのがこのヨセミテ渓谷なのですが、実はこの部分はヨセミテ全体のほんの1%に過ぎないのだそうです。

そのせいか今回訪れたこの渓谷の部分は、思ったよりも観光地化されているなぁという印象でした。
ビジターセンターはもちろんですが、売店やギャラリーに資料館のようなところもあり、主要なスポットへはシャトルバスで廻るというシステムがきっちりと整備されているし、観光バスやツアーのヴァンなども多く乗り入れていて、あちこちで写真撮影が・・・。

手つかずの大自然を思い描いていたので、思ったよりも人間の気配のすることにちょっと拍子抜けしてしまいましたが、これもたったの1%の部分でのこと。もっと旅慣れた人たちは、おそらく残りの99%のワイルドな部分を体験する術を知っているのでしょうね。

 長距離ドライブの後の、一息。


けれども少し辺りを歩いてみると、さすがに空気が澄んでいるなぁと思いました。
カリフォルニアに生息する樹木は、杉や檜に松といった針葉樹が多いようなのですが、ここヨセミテでもほとんどがそういった樹木のようで、しかもそれぞれの背丈が本当に高い!
一斉にすーっと空へと向かって幹を伸ばしたノッポの木々は、私たちのはるか頭上に葉をつけて、そのてっぺんはクリスマスツリーのようなトンガリ頭。なんだか巨大なアンテナがたくさん立ち並んでいるようにも見えます。
辺りにはその爽やかな香りが漂い、とても気持ちがいいのです。杉や檜って、やはりちょっと日本人には身近な樹木ですよね。

私が今住んでいるマサチューセッツのあるニューイングランド地方では、楓や樺、ポプラのような樹木が多くを占めているのですが、やはり景観も、森林に漂う気のようなものも違います。
そのような広葉樹は、春には柔らかな新芽が顔を出し、夏になるとその葉をぐんぐんと茂らせ、秋になれば紅葉し、冬は裸になってしまうのですがそれはそれでとても雰囲気があるのです。
優しく情緒があり季節に合わせて変化するその姿は、そういえばなんだか女性的な感じがします。それに比べるとこのヨセミテの樹木は背後に大きな灰色の岩々を従え、脇目も振らずピンと一直線に空へと伸び、紅葉もしないし冬になっても葉を落とさず変わらない・・・なんだかとてもまっすぐで力強い、男性的な印象を受けました。


 ドームを半分に割ったような形をした岩 "Half Dome"。

この渓谷の見所はといえば、その樹木と谷を取り囲んでいる岩山の数々です。それぞれの岩山には名前がつけられていて、その中でもエル・キャピタンやハーフ・ドームなど、いくつかの岩はロック・クライミングのメッカにもなっています。

パートナーがクライミングをするので、私も時々プロのクライマーが世界中の色々な場所でクライミングをしているようなビデオを見たりするのですが、その中のいくつかがこれらの岩山でなされていたなんて・・・こうして実際にその大きさを見てみるとほんとうに驚きです!
最近見たビデオでは、フリー・ソロ・クライミングで有名なAlex Honnoldがロープも着けずにハーフ・ドームを登っていました。ロープ無しということは、一歩間違ったらもう終わり・・・。
よくもまぁ、こんなところを・・・自然の雄大さもさることながら、人間て実はすごい可能性やパワーを秘めているんだなぁと、この壮大な岩山たちを目の前にして思わずにはいられませんでした。


そんな風に思いながら岩山を見つめていると、なんだかふっとデジャヴのような感覚が蘇りました。

それは以前アリゾナ州セドナで、現代ではパワースポットと呼ばれる赤茶色の岩山を見つめていた時のことです。今ではこのヨセミテと同じように多くの観光客が世界中から訪れているセドナのレッドロックス。
その神々しくも威厳のある姿をじっと見つめていると、ふと、その昔にも同じ位置からこうしてこの岩を眺めていた人が居たのだろうな・・・と、なんだかそんな感覚になったことがあったのですが、それと同じ感覚を、このヨセミテの岩山を見ている時にもまた感じたのです。

ヨセミテ渓谷にも、ネイティヴ・アメリカンと呼ばれる人々が大自然と共存しながら、何千年にも渡って暮らしていました。19世紀の半ばに起こったゴールド・ラッシュによって、沢山の人々がカリフォルニアに押し寄せるまでは・・・。
この谷に住んでいたアワニチ族と呼ばれるネイティブ・アメリカンたちのことについてはビジターセンターにある博物館で大まかな流れを知ることができたのですが、それはやはりニューメキシコやアリゾナ、そしてマサチューセッツでも見てきた史実と同じように、とても考えさせられるものでした。

あのゴールドラッシュがなければこの谷も発見されていなかったのだと思うと、なんだか複雑な気持ちです・・・。


ビジターセンターには写真家のアンセル・アダムスのギャラリーもあり、彼の撮ったヨセミテのモノクロ写真をじっくりと鑑賞することができました。
ニューメキシコのサンタフェでジョージア・オキーフの作品を見た時も思ったのですが、その作品が生み出された場所でそれらを見るというのは、なんだかエネルギーの感じ方が違います。

いつも思うのですが、自然を撮るのってすごく難しい・・・。遠近感など肉眼で見た時とは何か違うし、広大な自然の風景のほんの一部分だけを切り取るというのは、何か色々な意味で、本当に難しいなと思うのです。

けれどもアダムスの撮ったヨセミテは、モノクロでありながらその雄大さがしっかりとそこに映し出されていて、当たり前だけれど素晴らしい。自然の持つ繊細さと力強さが、白と黒だけの静かな世界の中に完璧な美として表現されていて、じっと見ていると思わずその世界の中にスーッと引き込まれてしまいそうでした。

そして彼の目になったつもりでそれらの写真の一つ一つを見ていると、その内それらがオキーフ作品と重なって見えてきました。
鮮やかな色彩でニューメキシコの大地を描いたオキーフの絵画とモノクロのアダムスの写真は一見正反対の世界に思えるのですが、なにか似たような、同じものを感じる・・・。きっと、ふたりは同じようなものの見方、感じ方をしていたのではないのかな・・・と、そんな風に思いました。
実際に友人同士だったふたりは、一緒にヨセミテを旅したこともあるそう。
やっぱりふたりとも、「センス・オブ・ワンダー」を持った人たちだったに違いない・・・と、ひとりで深〜く納得していた私でした。


また私はこのとき初めて、日本人でヨセミテを描き続けたチウラ・オバタさんという日本画家のことを知りました。戦前に単身サンフランシスコへ渡り、第二次大戦中には日本人強制収容所へ抑留されたりと、激動の人生を送りながらカリフォルニアで絵を描き続けたオバタさん。
その作品はヨセミテの景色を描きながらも、なにか心に沁み入るような素朴な懐かしさや、花鳥風月を感じさせるような日本らしい情緒があり、とても魅力的でした。

その他にも、このヨセミテをゴールドラッシュに続く開拓から守り、北米自然保護の父と呼ばれたジョン・ミューアについても色々と学ぶことができたり、最初は何だか観光地化されているなぁと思ったのですが、そのおかげでヨセミテをその場に感じながらそこにまつわる様々なことを知れたことは、とても有意義でした。

そして、そんなふうにヨセミテの歴史や人物のことを知っていく内に、このヨセミテという場所は、もはやひとつの文化になっていると言えるのかもしれないなと思えてきました。
本来は自然の一部であるのに、その自然から自らを切り離してしまった人間、そして再度そこに関わってゆく時の在り方・・・なんだかそんなことをとても考えさせられるような気がしました。

ハーフドームが夕陽に染まる頃、谷はもう真っ暗に。

その後、短いトレイルを選んで歩いていたのですが、あっという間に時間は過ぎ、その内陽も傾いて周囲の岩山の影が谷へと伸びてきてしまいました。
ナパでもそうだったように、谷の夕暮れは早いのです・・・!
なんとか陽が沈み切る前に谷底を発ち、サンフランシスコへの帰路についたのですが、その帰り道の光景がまたすばらしく美しくて、感動的でした。

壮大なスケールで鮮やかな色彩のグラデーションを伴う夕暮れの空に、これまで見たことのないほどに煌めく金星、宵の明星。
車の窓から見上げるとそこには宝石箱をひっくり返したような、満天の星空が・・・!

あぁ次回はもっとゆっくりと滞在して、キャンプをしながらこの星空を眺めていたいな・・・そんなふうに思いながらヨセミテを後にした夜でした。

左上に、宵の明星がキラリ。Good night, Yosemite!

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