X-day


なんだか最近、毎日が過ぎていくのがあっという間です。

こないだ書いたベランダの前にあったスズメの巣にはあの後すぐに
ヒナたちが生まれて、親鳥たちが餌を運んでくるたびにピーピーと
うるさいほどに泣き叫んでいたと思えば、今はもう彼らも成長して
巣立っていき、窓辺はすっかり静かになってしまいました。

暑い日射しは相変わらずですが、どうやら少し雨期に入ったようで
たまに夕方になると大粒の雨がざーっと降るようにもなりました。

時計やカレンダーだけではなく、こうして自然の営みから時間の流れや
季節を感じられるのは、つくづく幸せなことだなぁと思います。


こないだ独立記念日のお休みに、アリゾナ州セドナエリアに小旅行に
行って来ました。

ちなみに、このあたりではアメリカの他の地域ほどはJuly 4thをお祝い
しないのだそうです。
それもそのはず、今でもネイティヴ・アメリカンたちが多く暮らすこの
中西部、彼らにとっては決して喜ばしい記念日などではないのです。

今回セドナに行ったのは、何年も前から行ってみたいなぁと憧れていた
ことに加え、その周辺にある遺跡を訪ねることが目的でした。

雑誌やテレビで何回見たであろうというセドナの赤い岩山たち。
その姿はたしかに圧倒的で、空気は澄み、パワースポットなどと
わざわざ言われなくても、何かたくさん感じるものがある場所でした。

Sedona

でも少し観光地化されすぎているような感じはやっぱり否めなくて
私にとってはその周辺の予想外の緑に囲まれたエリアの方が、
人も少なく、静かでとても安らぎを感じられる場所でした。

そしてその場所に、私が見てみたかった、ネイティヴ・アメリカンの
ご先祖様のものだと言われている遺跡が、点在していたのです。


そもそも私がそのことを知ったのは、心理学者の河合隼雄さんの著書
「ナバホへの旅 たましいの風景」を読んだことがきっかけでした。

もともと河合さんの本は好きで少し読んでいましたが、ネイティヴ・
アメリカンのことについて書かれたものがあるとは知らず、
さらにこの本の舞台が、私の暮らすこのニューメキシコ州アルバカーキ
を起点に、ニューメキシコ・アリゾナ・ユタ・コロラドと4州の境目に
大きく股がるナバホ族の国、ナバホ・ネイションへの旅路とあって
何だかものすごくリアリティを持って読み進めたのでした。

Window Rock, Navajo Nation

河合さんはユング派の心理療法家でしたが、もともと近代科学を基礎
とした心理学をもって患者さんの治療にあたっているうちに、どうも
科学だけでは割り切れない、人の心の奥深さや不思議な現象を目の
当たりにし、晩年はヨーロッパのケルトやネイティヴ・アメリカン
・・・いわゆる近代ヨーロッパ文明以前の文化に興味を持ち、そこで
人々の生活に密接に関わっていた、魔女やメディスンマンと呼ばれる
人々の場所を訪ねておられたのだそうです。

現代から考えると一見不可思議で怪しげな「シャーマン」のような
人々がどのような能力を持ち、彼らが人々や集団にどのような心理的
影響を与えていたのか、そしてそのような現象が起こるために必要な
バックグラウンドなども含め、長い療法家としての経験から客観的に
推察していくその様子はとてもわかりやすく、納得のいくものでした。

そしてその本の中に出てきた"Anasazi" (アナサジ)と呼ばれる人々
・・・今のネイティヴ・アメリカンと呼ばれる人々の祖先の遺跡の
お話に、私は惹き付けられたのです。

以前から、友人から貰ったワインに"Anasazi Wine"というラベルが
ついていたり、ふと通りかかったマンションの名前になっていたりと
その言葉は度々目にすることがあって、一体何なのだろう?と
不思議に思っていたものです。

その昔、ニューメキシコのChaco Canyonで彼らの遺跡が発見された
時には、そのあまりの素晴らしさに、一体これはローマかギリシャか
はたまたエジプト、ヘブライ、ヴァイキング・・・?
などなど、ありとあらゆる説が出し尽くされたというほどの謎の遺跡。

調査の結果、彼らは紀元前200年頃にこの場所に現れてこのような
建造物や著しい文化を築いたのにも関わらず、不思議なことに
1300年頃にはこつ然と姿を消してしまった、というのです。

多くの研究者たちが必死になって彼らのことを調べていたのですが
そこで生活していたネイティヴ・アメリカンたちにとっては
何ということもなく、もちろん知っていました。
アナサジが自分たちの祖先であることを。

Montezuma Castle

なぜそんな簡単なことに気づかなかったのでしょうか?
それはきっと、現代人にとっては重要な「進歩」という概念が作用した
のではないかと、河合さんは述べています。

この素晴らしいアナサジの文化を見た後では、現代人はそれが次は一体
どのように「進歩」「発展」するかと期待する。
しかし白人たちがアメリカ大陸に来て初めて出会った「インディアン」
の人々の暮らしぶりを見て、これがあのアナサジ文化の継承者だとは
とうてい思えなかったのでは?・・・ということです。
もしそれを繋げてしまうと、「進歩」していくはずの人間が「退歩」
していっていることになってしまうので、思いつきもしなかったのでは
ないだろうか、と。
これは、「進歩」という言葉の概念について、とても考えさせられる
出来事です。

そして私もその遺跡を見てみたいという気持ちが募り、今回の旅の
ルートからはChaco Canyonはすこし無理があったのですが、
セドナの周辺にもそういった遺跡が点在しているということを知り
訪ねてみたのでした。

こちらの先住民はAnasaziではなく、HohokamやSinaguaと呼ばれる
人々で、写真で見たChaco Canyonの遺跡よりはずっと小さくて
素朴なものでしたが、ゆるやかに流れるVerde Riverの沿って
たくさんの緑が覆い茂る中に点々と、彼らの遺跡はありました。

Montezuma Well

そうして見ると、水と緑のあるところに人は住むのだということも
実感します。まさにライフライン。
水道や電気・ガスの供給が当たり前になっている私のような現代人には
ハッとさせられることでした。

説明文を読むと、どうやらその先住民たちは、近隣の集落とも交流を
行っていたようで、きっとAnasaziや他のグループとも繋がりを持ち、
想像以上に活気のある暮らしを送っていたのではないかということを
思いました。

でもおもしろいのが、どの説明文を読んでも"may"や"might"が
ついているのです。
彼らの文明には文字が無かったので、後世の人々にとっては推測する
しかなく、誰にも本当のことはわからないのだなぁと思うと、なぜか
また私はホッとしてしまいます。

Tuzigootという小高い丘の上に造られた遺跡から辺りを見下ろすと、
そこは木々が豊かに茂り、まるで時が止まったかのようなゆるやかな
景色。
下の方にも住居と見られる跡があり、おそらくこの丘の上の建造物は
村全体の何か祭事や特別なことを行うためのものだったかもしれない
ということでした。

Tuzigoot

昔の人もこうして、ここからこの同じ景色を眺めていたのかなぁ
と、しばらく時間を忘れて、遠い時代に想いを馳せてしまいました。


ところで、彼らがある日突然この場所を捨てた理由は、今でも
わかっていません。
干ばつや食料不足など色々と推測されていますが、戦いや侵略の跡も
なく「覚悟の上に静かに幕を引かれたように見える」のだそうです。

私がこの遺跡にここまで関心を持ったのは、アナサジについて書かれた
章の最後に「ここからは私のまったくのイマジネーションである」と
河合隼雄さんご自身が推測されていたことに、とても共感というか、
強い印象を受けたからです。


“ アナサジ文化が「進歩」し壮大な建築物を築き、人々の往来も
はげしくなったとき大干ばつが続く。そのとき、メディスンマンの
誰かが啓示を受け、「自然に帰ろう」と呼びかける。
人々はその言葉に耳を傾け、一斉に大きい建築物を離れ、それぞれ
が自然とともに住む生活へととけこんでゆくことになった。
そこには何の争いもなく、静かな行動だけがあった。
これが現代人から見れば、アナサジ文化の消滅であり「退歩」で
あるのだが。それはほんとうに「退歩」なのだろうか。
私はいろいろと想いをこらしつつアルバカーキへと向かったので
あった。”

Barringer Crater

この文章を、日本での地震のあととても気になってまた読み返しました。
アナサジ文化の終焉に繋がった干ばつとあの地震が、何か重なって
思えて仕方がありませんでした。

「進歩」「進化」「先進国」。
当たり前のように先へ先へと突き進んでいた時代を今までただ
生きてきたけれど・・・。

旅の岐路、私も河合さんと同じように、車の中であれこれと想いながら
アルバカーキへと向かったのでした。

その途中で偶然見た、まるで空のゲートのように大きく神秘的な虹や
5万年前の隕石の落下によってできた巨大なクレーター。

なんだか地球や宇宙が「忘れないで」と語りかけてきているような
不思議な気持ちになりました。

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