City beyond Time - Ephesus
Library of Celsus in Ephesus, Turkey
私は戦車が通りうるほど広いバビロンの城壁を見、アルペイオス河畔のゼウス像を見た。
空中庭園も、ヘリオスの巨像も、多くの人々の労働の結集たる大ピラミッドも、はたまたマウロソスの巨大な霊廟も見た。
しかし、アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見たとき、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。
私は言った。
「見よ、オリンポスを別にすれば、かつて日の下にこれほどのものはなかった。」
-シドンのアンティパレトス(紀元前2世紀「世界七不思議」リスト編纂者)
前回の続きで、トルコ旅行のお話です。
シリンジェの村を後にした私たちは、その後さらに車を走らせ、世界遺産でもある古代都市遺跡エフェソスに向かいました。
かつて古代ギリシャ人の都市であったこの遺跡は、ギリシャ・ローマ遺跡が大好きな私にとって、実はこの旅の中でも訪れるのを一番楽しみにしていた場所でもありました。
イスタンブールも、カッパドキアも素晴らしく、どこへ行ってもその場所独特の魅力があって驚かされるトルコ。
その中でも最初から期待を膨らませていたエフェソスに、ついに・・・!というワクワクは、当初よりは実はちょっと薄れていて、それは、これまで訪れた場所、見て来たものだけでも、もうすでに大満足・・・という状態だったからです。
けれどもエフェソスに到着してみると、その満足感がまた一気に上塗りされるような、新しい感動が待っていたのでした。
のどかな山々に囲まれた土地に残るその遺跡は想像していた以上に大規模で、そこには古代の都市がそのままに、数千年の時を超えて今もなお残っていたのですから。
もちろん、長い年月の中での多民族からの破壊や風化により建物は崩れてしまっていて、そのほとんどは土台や柱のみが残っているだけだというのに、それでも遺跡の中を歩いていると、不思議と自分が古代の都市にタイムスリップしたかのような臨場感があるのです。
周囲を取り囲む緑に覆われた山々を眺めながら、両脇にずらーっと柱が立ち並んだ、まっすぐに続く石畳の道をゆく。
道の傍らにはオリーブの木々、その足元には素朴な野の花がいくつも咲いていて、黄色や白や橙色の色彩に、ほっと心が和む。
柱の陰には猫たちがのんびりとくつろぎ、空を見上げるとそこには白い月がぽっかりと浮かんでいる。
やがて目の前に巨大な円形劇場が現れる。
「・・・そうだ、今日は何を観に来たのだったっけ?」
・・・そんな風に、まるで自分がこの街の住人かと錯覚してしまうような、またはこの街に「帰って来た」ような気がしてしまうような、そんな不思議な感覚があったのです。
目の前にあるのは、もう何世紀も前の廃墟だというのに。
エフェソスは、紀元前から紀元後数世紀まで栄えた都市でした。
トルコの中でもエーゲ海側にあるとはいえ少し内陸部に位置しているのですが、かつては海岸線がもっと内陸側にあったということで、海に面した寄航港としても大変に発展した、地中海世界の要所だったのです。
その起源は遠い遠い昔のことすぎて、はっきりとしたことはわかっていないようですが、古代ギリシャ時代以前から存在し、アナトリア一帯で信仰されていた大地母神であるキュベレーの一大信仰地だったようです。
その後紀元前10世紀ごろにイオニア人(古代ギリシャ人)がこの地へと侵略し、彼らの女神であるアルテミスをキュベレーに置き換えて信仰し始めたのが、現在も残るエフェソスの都市の原型だということです。
アルテミスは古代ギリシャの月の女神で、狩猟や野生動物、純潔などを象徴する女神ですが、当時この地で信仰されていたアルテミスは、豊穣や母なる大地といったキュベレーの地母神的な性格を受け継ぐもので、その石像も無数の乳房を持つというちょっと風変わりな形態をしています。
ヘレニズム時代、紀元前4世紀にアレキサンダー大王により大規模な港が造られると、そこから交易都市として一気に発展していき、その後ローマ時代になると女神アルテミスはディアナと名前を変え、その頃にはエフェソスはローマに次ぐ第二の都市と言われるまでに拡大していました。
そしてキリスト教の勢力が増してくると、エフェソスには布教者が度々訪れるようになり、やがて女神信仰は聖母マリア信仰に移り変わっていきます。
最終的には、エフェソスは7、8世紀ごろにはイスラム勢力による侵攻や、海岸線が移動してしまったため交易都市として機能しなくなったなどの理由から、衰退していってしまったそうです。
トルコの他の都市のように、ここも長い時間の中で、数々のドラマが繰り広げられては通り過ぎて行った、そんな場所なのですね。
さて、冒頭のシドンのアンティパレトスの言葉は、ここエフェソスにあるアルテミス神殿のことを指しています。
実はこのアルテミス神殿は古代の世界七不思議のひとつだったのですが、アンティパレトスは自分自身もその編纂者でありながら、他のどの光景を見たときよりも、エフェソスのアルテミス神殿には驚かされた・・・と、いかにこの神殿が素晴らしいものだったかを語っているのです。
残念ながら、現在その神殿は柱が一本だけしか残っていないのですが、かつてはアテネのパルテノン神殿をも上回る大きさだったということで、当時のエフェソスの繁栄ぶりが窺えます。
女神信仰が衰退してからは神殿は放置され、他勢力の建築資材として神殿の石はどんどん切り崩され、持ち去られていったということで、なんだか悲しい。。
何百年と続いて来た信仰も、時の流れとともにこんなにもアッサリと切り替わってしまうものなのですね。
・・・ですが、ここエフェソスには他にも素晴らしいものが、ちゃんと遺っているのです。
私が一番感動したのはやはり、冒頭にも写真を載せた、ケルスス図書館です。
ローマ時代に建てられたこの図書館は、古代世界ではアレキサンドリア図書館、ペルガモン図書館につぐ三番目の規模を誇っていたといいます。
前面の壁のみが見事に復元されているのですが、これがもう、ほんとうに、美しい・・・。
大理石でつくられた象牙色の表面に入ったマーブル模様が美しく、一階部分にはそれぞれ、ソフィア(叡智)、アレーテー(美徳)、エイノア(思慮)、エピステーメー(知識)と四人の女神像が立ち並び、柱や天井部分には植物を模したレリーフが施されていて、ギリシャで見てきたパルテノン神殿などよりも華やかというか、少しオリエンタルな雰囲気も入っていてエキゾチックです。
その柔らかな印象のレリーフとギリシャ文字との組み合わせも素敵で、もうこの壁だけでも一つの芸術作品にしか見えません。
当時は図書館はただ書物を借りたりするところではなく、数学、天文学、神学などの研究機関でもあったようなのですが、こうした古代世界の美術、宗教、科学が一体になっているその世界観は、私の憧れなのです。
今では切り離されて別々になってしまったものが、古代世界ではこうして融合していたのですね。
本当に古代にタイムスリップして、この図書館に通ってなにかを学んでみたいなぁ・・・などと思いながら、私はこの素晴らしい芸術作品をずっと見ていたくて、しばらくその前を離れることができませんでした。
そしてこちらも圧巻だったのが、二万五千人を収容可能だという大きな円形劇場です。
紀元前3世紀、古代ギリシャ時代に建てられたこの劇場は、その後ローマ時代に拡大されて、今の大きさになったということですが、これは古代世界でも最大級の劇場なのだそうです。
ここでは、演劇や、政治的宗教的な演説が行われただけではなく、かの有名な古代ローマの見世物、グラディエーター達による闘技場としても使用されたそう。
素晴らしいことに、なんと現在でも夏場にはこの劇場でコンサートや野外劇が行われているとのことなのです。
古代の遺産を単なる観光地とするだけではなく、現在もそんなふうに利用しているなんて・・・なんとも粋だなぁと思いませんか?
世界遺産でもある遺跡ともなると保存や安全面にばかり気を使ってしまいそうですが、あまり神経質になりすぎず、特にこういった文化活動に利用するのは、私は大賛成です。
ただの遺物ではなくて、今現在も生かされている・・・そのことに、何となくこの大劇場も喜んでいるように感じるのは、私だけでしょうか。
そしてそして、とても興味深かったのが、テラスハウスと呼ばれる古代ローマ時代の高級住宅街です。
山の斜面に沿って住居がいくつも連なるように建てられていて、ローマ時代の裕福層の生活が垣間見れるとても興味深いところでした。
ここに残っているものは紀元前1世紀から紀元後7世紀までの住居なのだそうで、壁には可愛らしいフレスコ画、床にはモザイク画まで当時のままに残っています。
もちろん装飾だけではありません。この住宅群は機能的にも優れており、水道などの設備はもちろん、なんと暖房設備も整っていたとか。
床の下や壁の後ろに陶器のパイプを通してそこに温水を流すことで家全体を温めていたそうで、なんとこれは現代のセントラル・ヒーティング・システムと同じではないですか。
ここの住宅街だけでなく、街中の公衆トイレにもなんと水洗のシステムがすでに設置されていたり、公衆浴場にもこのセントラル・ヒーティングが使われているというのです。
ローマ人の生活水準の高さが窺えますね。
空中庭園も、ヘリオスの巨像も、多くの人々の労働の結集たる大ピラミッドも、はたまたマウロソスの巨大な霊廟も見た。
しかし、アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見たとき、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。
私は言った。
「見よ、オリンポスを別にすれば、かつて日の下にこれほどのものはなかった。」
-シドンのアンティパレトス(紀元前2世紀「世界七不思議」リスト編纂者)
Nike, Goddess of Victory
前回の続きで、トルコ旅行のお話です。
シリンジェの村を後にした私たちは、その後さらに車を走らせ、世界遺産でもある古代都市遺跡エフェソスに向かいました。
かつて古代ギリシャ人の都市であったこの遺跡は、ギリシャ・ローマ遺跡が大好きな私にとって、実はこの旅の中でも訪れるのを一番楽しみにしていた場所でもありました。
イスタンブールも、カッパドキアも素晴らしく、どこへ行ってもその場所独特の魅力があって驚かされるトルコ。
その中でも最初から期待を膨らませていたエフェソスに、ついに・・・!というワクワクは、当初よりは実はちょっと薄れていて、それは、これまで訪れた場所、見て来たものだけでも、もうすでに大満足・・・という状態だったからです。
けれどもエフェソスに到着してみると、その満足感がまた一気に上塗りされるような、新しい感動が待っていたのでした。
のどかな山々に囲まれた土地に残るその遺跡は想像していた以上に大規模で、そこには古代の都市がそのままに、数千年の時を超えて今もなお残っていたのですから。
遺跡の周りはのどかな丘陵地帯。
周囲を取り囲む緑に覆われた山々を眺めながら、両脇にずらーっと柱が立ち並んだ、まっすぐに続く石畳の道をゆく。
道の傍らにはオリーブの木々、その足元には素朴な野の花がいくつも咲いていて、黄色や白や橙色の色彩に、ほっと心が和む。
柱の陰には猫たちがのんびりとくつろぎ、空を見上げるとそこには白い月がぽっかりと浮かんでいる。
やがて目の前に巨大な円形劇場が現れる。
「・・・そうだ、今日は何を観に来たのだったっけ?」
・・・そんな風に、まるで自分がこの街の住人かと錯覚してしまうような、またはこの街に「帰って来た」ような気がしてしまうような、そんな不思議な感覚があったのです。
目の前にあるのは、もう何世紀も前の廃墟だというのに。
遺跡にもたくさんの猫たちが。
エフェソスは、紀元前から紀元後数世紀まで栄えた都市でした。
トルコの中でもエーゲ海側にあるとはいえ少し内陸部に位置しているのですが、かつては海岸線がもっと内陸側にあったということで、海に面した寄航港としても大変に発展した、地中海世界の要所だったのです。
その起源は遠い遠い昔のことすぎて、はっきりとしたことはわかっていないようですが、古代ギリシャ時代以前から存在し、アナトリア一帯で信仰されていた大地母神であるキュベレーの一大信仰地だったようです。
その後紀元前10世紀ごろにイオニア人(古代ギリシャ人)がこの地へと侵略し、彼らの女神であるアルテミスをキュベレーに置き換えて信仰し始めたのが、現在も残るエフェソスの都市の原型だということです。
アルテミスは古代ギリシャの月の女神で、狩猟や野生動物、純潔などを象徴する女神ですが、当時この地で信仰されていたアルテミスは、豊穣や母なる大地といったキュベレーの地母神的な性格を受け継ぐもので、その石像も無数の乳房を持つというちょっと風変わりな形態をしています。
何と書いてあるのかな。古代ギリシャ語、勉強したい。
ヘレニズム時代、紀元前4世紀にアレキサンダー大王により大規模な港が造られると、そこから交易都市として一気に発展していき、その後ローマ時代になると女神アルテミスはディアナと名前を変え、その頃にはエフェソスはローマに次ぐ第二の都市と言われるまでに拡大していました。
そしてキリスト教の勢力が増してくると、エフェソスには布教者が度々訪れるようになり、やがて女神信仰は聖母マリア信仰に移り変わっていきます。
最終的には、エフェソスは7、8世紀ごろにはイスラム勢力による侵攻や、海岸線が移動してしまったため交易都市として機能しなくなったなどの理由から、衰退していってしまったそうです。
トルコの他の都市のように、ここも長い時間の中で、数々のドラマが繰り広げられては通り過ぎて行った、そんな場所なのですね。
当時の面影を残す、古代都市の街並み。
さて、冒頭のシドンのアンティパレトスの言葉は、ここエフェソスにあるアルテミス神殿のことを指しています。
実はこのアルテミス神殿は古代の世界七不思議のひとつだったのですが、アンティパレトスは自分自身もその編纂者でありながら、他のどの光景を見たときよりも、エフェソスのアルテミス神殿には驚かされた・・・と、いかにこの神殿が素晴らしいものだったかを語っているのです。
残念ながら、現在その神殿は柱が一本だけしか残っていないのですが、かつてはアテネのパルテノン神殿をも上回る大きさだったということで、当時のエフェソスの繁栄ぶりが窺えます。
女神信仰が衰退してからは神殿は放置され、他勢力の建築資材として神殿の石はどんどん切り崩され、持ち去られていったということで、なんだか悲しい。。
何百年と続いて来た信仰も、時の流れとともにこんなにもアッサリと切り替わってしまうものなのですね。
・・・ですが、ここエフェソスには他にも素晴らしいものが、ちゃんと遺っているのです。
復元されたケルスス図書館の前面部。ただただ美しい・・・!
私が一番感動したのはやはり、冒頭にも写真を載せた、ケルスス図書館です。
ローマ時代に建てられたこの図書館は、古代世界ではアレキサンドリア図書館、ペルガモン図書館につぐ三番目の規模を誇っていたといいます。
前面の壁のみが見事に復元されているのですが、これがもう、ほんとうに、美しい・・・。
大理石でつくられた象牙色の表面に入ったマーブル模様が美しく、一階部分にはそれぞれ、ソフィア(叡智)、アレーテー(美徳)、エイノア(思慮)、エピステーメー(知識)と四人の女神像が立ち並び、柱や天井部分には植物を模したレリーフが施されていて、ギリシャで見てきたパルテノン神殿などよりも華やかというか、少しオリエンタルな雰囲気も入っていてエキゾチックです。
その柔らかな印象のレリーフとギリシャ文字との組み合わせも素敵で、もうこの壁だけでも一つの芸術作品にしか見えません。
美徳を神格化したアレテーの像。
なんて美しい装飾。この柱はイオニア式とコリント式の折衷様式だそう。
当時は図書館はただ書物を借りたりするところではなく、数学、天文学、神学などの研究機関でもあったようなのですが、こうした古代世界の美術、宗教、科学が一体になっているその世界観は、私の憧れなのです。
今では切り離されて別々になってしまったものが、古代世界ではこうして融合していたのですね。
本当に古代にタイムスリップして、この図書館に通ってなにかを学んでみたいなぁ・・・などと思いながら、私はこの素晴らしい芸術作品をずっと見ていたくて、しばらくその前を離れることができませんでした。
大劇場。この舞台の真ん中に立って観客席と空を仰ぎ見ると、
なんだか大観衆の歓声が聞こえてきそうな気がしました。
そしてこちらも圧巻だったのが、二万五千人を収容可能だという大きな円形劇場です。
紀元前3世紀、古代ギリシャ時代に建てられたこの劇場は、その後ローマ時代に拡大されて、今の大きさになったということですが、これは古代世界でも最大級の劇場なのだそうです。
ここでは、演劇や、政治的宗教的な演説が行われただけではなく、かの有名な古代ローマの見世物、グラディエーター達による闘技場としても使用されたそう。
素晴らしいことに、なんと現在でも夏場にはこの劇場でコンサートや野外劇が行われているとのことなのです。
古代の遺産を単なる観光地とするだけではなく、現在もそんなふうに利用しているなんて・・・なんとも粋だなぁと思いませんか?
世界遺産でもある遺跡ともなると保存や安全面にばかり気を使ってしまいそうですが、あまり神経質になりすぎず、特にこういった文化活動に利用するのは、私は大賛成です。
ただの遺物ではなくて、今現在も生かされている・・・そのことに、何となくこの大劇場も喜んでいるように感じるのは、私だけでしょうか。
「僕もそう思うニャ。」
そしてそして、とても興味深かったのが、テラスハウスと呼ばれる古代ローマ時代の高級住宅街です。
山の斜面に沿って住居がいくつも連なるように建てられていて、ローマ時代の裕福層の生活が垣間見れるとても興味深いところでした。
ここに残っているものは紀元前1世紀から紀元後7世紀までの住居なのだそうで、壁には可愛らしいフレスコ画、床にはモザイク画まで当時のままに残っています。
当時の裕福層が暮らしていた住宅街、テラスハウスの中。
保護のために全体が覆われ、現在も修復作業が続いています。
ライオンのモザイク。反対側からしか見られなかったので逆向きです。
こちらはメデューサかな。
そしてこちらは神聖幾何学フラワー・オブ・ライフ。
世界中の古代遺跡に見られるこの形は、完全なる調和、宇宙の在り様そのものを表すなどと言われていますが、はっきりとしたことは分かっていません。昨年末にエジプトに行った時に訪れたアビドスのオシリス神殿にもありました。またそのことも書けるといいな。。
もちろん装飾だけではありません。この住宅群は機能的にも優れており、水道などの設備はもちろん、なんと暖房設備も整っていたとか。
床の下や壁の後ろに陶器のパイプを通してそこに温水を流すことで家全体を温めていたそうで、なんとこれは現代のセントラル・ヒーティング・システムと同じではないですか。
ここの住宅街だけでなく、街中の公衆トイレにもなんと水洗のシステムがすでに設置されていたり、公衆浴場にもこのセントラル・ヒーティングが使われているというのです。
ローマ人の生活水準の高さが窺えますね。
ローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた、ハドリアヌス神殿。
そうです、テルマエ・ロマエに出てくるあの皇帝です。
遺跡の敷地内にはそのほかにも広場、議事堂、音楽堂、運動場、酒場から売春宿まであり、ほんとうに、一つの街そのものが残っているんだということを実感します。
それにしても、これまでは遺跡を訪れると儚さというか、栄枯盛衰のようなものを感じることが多かったのですが、このエフェソスはなぜだか今でも活気のようなものを感じさせられる、稀な遺跡でした。
最初にも書いたように、遺跡内を歩いているとなんだか妙に臨場感があって、古代の衣装を身に纏った人々がその辺から出て来そうな、はたまた円形劇場からは大歓声が聞こえて来そうな・・・常にそんな気配がしていたのです。
それにしても、これまでは遺跡を訪れると儚さというか、栄枯盛衰のようなものを感じることが多かったのですが、このエフェソスはなぜだか今でも活気のようなものを感じさせられる、稀な遺跡でした。
最初にも書いたように、遺跡内を歩いているとなんだか妙に臨場感があって、古代の衣装を身に纏った人々がその辺から出て来そうな、はたまた円形劇場からは大歓声が聞こえて来そうな・・・常にそんな気配がしていたのです。