Land of Generosity - Cappadocia I

Kapadokya in Central Turkey


前回に引き続き、トルコ旅行のことをこのまま綴っていこうと思います。
2016年の旅行なのですが、写真を見ていると本当になつかしくて、その場の空気感を思い出しては、トルコ、本当にいいところだったなぁ・・・としみじみと思います。
訪れたどの場所も、それぞれに個性があって魅力的で、そのすべてが好きでした。

イズミルを拠点として、そこからイスタンブールへと旅したことを前回は書きましたが、その後はカッパドキアへと向かいました。

カッパドキアというと、日本では一定の年齢以上の人ならば誰もが、あの不思議な形をした奇岩が立ち並び、その上空には気球が浮いているイメージを思い浮かべられるような・・・そんなメジャーな旅先なのではないかな?と思います。
ところがボストンで「カッパドキアに行って来た」と言ってもほとんどの人がその名を知らないようだったので、ちょっと驚いたのです。
その度にカッパドキアがどんなところなのか説明するのもなんだか面白かったのですが、トルコと日本って、本当に相思相愛関係なのだなぁ・・・と思いました。
トルコ人は日本が好きだし、日本人もトルコが大好き。そんな印象を、トルコを旅する中でも、アメリカに戻ってからも感じたのでした。


さて、朝早くにイスタンブールを発って、1時間半ほどで到着したカッパドキア、ネヴシェヒル。
空港は素朴で小さくて、昔、ギリシャのサントリーニ島の空港に着いた時のことを思い出しました。私はこういう、小さな空港ってなんだか可愛らしくて好きなのです。

飛行機も小さくて、直接機体から階段を降りて地面にぽん、と足をつける。その感覚。
大きな空港だと、その土地に降り立ったというよりは、とりあえず建物の中に到着したという感じがするのですが、こんな風に第一歩を実際にその土地の地面に踏み出すことができるのって、体感としてとてもいいですよね。

ふと見ると、別の飛行機からは同じような服装に色とりどりの刺繍が施された三角巾のようなものを被ったおばあちゃんたちがわらわらと降りてきていました。
ブルガリアとかルーマニアとかの人たちかな?なんだかその光景があまりにも可愛くて、そのイメージが今でも鮮やかに記憶に残っています。

そして空港を出ると、そこにはイズミル、イスタンブールで目にしてきたのとは全く違った景色が広がっていました。
ビルなんてない、エキゾチックなモスクや迷路のような小道や、猥雑なやかましさもなにもかも・・・
何にもない。ひたすらに茶色い大地と岩山と、久々に見たような、広い空。
空気は乾いていて、土埃の匂いがする。

あれ?なんだかものすごく、なつかしい・・・

こんな景色、なんだかどこかで見たことあるような・・・。

そんな第一印象をやんわりと感じながら、私たちは空港を出たところで車を借りました。
カッパドキアでは、トルコで初めての、自分たちで車を運転しての移動です。
ロードトリップが大好きな私にとっては、その雄大な大地の眺めと相まって、久しぶりの冒険心がお腹の底からワクワクと湧き出てくるのを感じずにはいられませんでした。

そして車で走り出すと、目の前に広がる景色にますます心が躍りました。
この・・・茶色の大地と岩山と、広い空の世界は・・・!
それは、かつて2年間住んでいた、大好きなニューメキシコになにかとても似ていたのです。
だから、初めてなのにすごくなつかしくて、心地よさを感じたのですね。
きっと、ニューメキシコに住んでいなかったら、この場所はもっともっと異世界のように感じられていたのではないかなと思います。
(それはそれで、もっと新鮮さを味わえて良かったのかも、とも思いますが。。)

この岩群も、ニューメキシコのテント・ロックスにそっくりです。

日本にいるトルコ人の友人に、「カッパドキアに行くよ。ツアーじゃなくて、自分たちで車で廻る」と言うと何だかもうもうすごく心配されてあれやこれやとアドバイスされたので、一体どんなところなのかと思っていたのですが、実際に行ってみると、私たちにとっては安心感と自由に満ちた、まるでホームのような暖かさを感じる土地でした。

けれど確かに、イズミル育ちで、日本でも都市を好む彼女からしたら、こういった場所はワイルドすぎてどう動いていいかわからないのかもしれないな・・・と思いつつ、私はイスタンブールでは逆に身動きが取りづらかったので、一気に自分が解放されたような気分になったのでした。


朝の便で到着したため、私たちはまず朝食をとろうと思い、道すがらに目に入ったレストランに入ることにしました。
「トルコ式の朝食を食べてみて」と友人に言われていたのですが、イズミルの宿泊先はウィークリーマンションのようなところだし、イスタンブールは食事など一切ついていない安宿に泊まったので、ちゃんとした朝ごはんというのは、この日までとったことがなかったのです。

オムレツに、生野菜。

トルコ式の朝食とは、まずパンと卵料理にキュウリやトマト、オリーブなどの野菜が主なのですが、特徴的なのは、それについてディップだとかトッピングがたくさーん出てくるのです。
数種類のチーズに、はちみつ、ヨーグルト、タヒン(ごまペースト)、ジャムなどなど・・・説明をしてもらってもどれが何だったのか覚えられないほど、テーブルの上に小皿がずらーっと並ぶ形になります。
私は中でも、はちみつ+ヨーグルト+タヒンをパンにつけて食べるのが気に入ってしまって、アメリカに戻ってからもしばらく朝ごはんにはこのコンビネーションを楽しんでいました。
(タヒンはアメリカでは結構メジャーで、こちらではアラビア語で「タヒニ」と呼ばれていますが、大抵のスーパーで売られています。)

こんなふうに、小皿がたくさん並びます。
この時は、フライドポテトと揚げ茄子もついていました。朝からお腹いっぱい!

そして飲み物は、コーヒーもありますが、やはりそこはターキッシュ・チャイです。

チャイといってもスパイスたっぷりのインドのチャイとは違い、要するに紅茶なのですが、トルコの街を歩いていると、朝食に限らずいつでもどこでも皆がこのチャイを片手におしゃべりしている姿が印象的でした。
二段重ねの特徴的なチャイポットを使って淹れた琥珀色のチャイを小さなグラスに注ぎ、そこに角砂糖をひとつ。

私もトルコ滞在中には毎日のように飲んでいて、これもあまりにも気に入ってしまい、イスタンブールのグランバザールで理想通りの銅と真鍮製のクラシカルなチャイポットを買い、イズミルではセットのチャイグラスと私好みのコースターとスプーンを求めてバザールを歩き回ったのが、今でもいい思い出です。

そのおかげで、今でもたまに家でチャイを淹れているのですが、その香りも味も、そしてチャイを注ぐ時の音やグラスを持ち上げた時の感触も、それにその視覚的な美しさからも、なんだかとっても優雅な気分になれて、ホッとするのですよね。

香り高い琥珀色の飲みもの。
これが、カジュアルに楽しまれているところがチャイ文化のいいところ。


トルコ式の朝食を堪能した後は、とある家族経営の小さな窯元へと向かう予定でいました。
今はちょっと中断しているのですが、当時陶芸をしていたのもあり、トルコの陶芸にも興味があったので、産地の一つであるカッパドキアで陶芸を体験してみたいなと思っていたのです。
レストランの主人にそんな話をしていると、私たちの向かおうとしている窯は、遠いし小さくて大したことないよ、と。それよりもすぐそこに大きな販売所を兼ねた場所があるよと教えてくれました。
私はあまりビジネスライクでなさそうな小さな窯に興味があったので迷ったのですが、時間のことも考えて、その主人の教えてくれた場所へ行くことにしました。

カラフルで繊細な植物柄が美しい、オスマン朝のイズニック陶器。
こちら、すごく惹かれたのですが買わなかったので後悔しています・・・。

行ってみるとそこは様々な窯や産地からの陶芸品がずらーっと並んで売られており、陶芸体験もできたり、まるで日本の地方にある陶芸センターみたいだな、と思いました。
数年前に帰国した時に岐阜県の土岐へ陶芸を見に行ったのですが、雰囲気的にもなんだかとても似ているのです。
隣には工芸センターのようなところがあり、陶芸以外にも織物など、カッパドキアの伝統工芸を紹介していました。
こういう感じは、アメリカにはないものです。

陶芸のデモンストレーション。このあと私もやりましたが、
この細いポールの上で形成するのはなかなか難しく、新鮮でした。

工芸センターで織物をしていた女性。こういう感じ、ちょっと日本っぽくありませんか?

トルコにいて、なんだか日本に似ているなと思うところがちょくちょくあったのですが、それはやはり、長い歴史や、民族的な文化、その中で地域に根付き受け継がれてきたものがあることから滲み出るものなのだろうと思います。
アメリカはやはり新しい国であり、過去から受け継がれてきたものというよりは、新しいものを生み出していこうとする文化なので、もう、根本的なところが決定的に違うのですよね。

それからやはり、「東洋」ということでしょうか。
トルコは西洋と東洋のちょうど境目なわけですが、西側にあるイズミルやイスタンブールに比べると、より内陸で東側に位置するカッパドキアでは、アジアっぽさを感じることが多かったように思います。
人々の顔つきや、景色も、食べ物も、そこかしこに漂う空気感がもう、どこかほっこりと、アジアらしさを帯びているのです。
ニューメキシコに似た風景だけではなく、そういったことも私がここになつかしさや心地よさを感じる理由だったのだろうと思います。


ホテルの屋上の朝食スペースから見たギョレメの街並み。

カッパドキアではギョレメという街に宿泊したのですが、ここがまた、街も、ホテルも、そしてそこの人々の雰囲気も、まさにその「ほっこり」感で満ち満ちていて、とても素敵なところでした。

ここでは、ずっと泊まってみたかった洞窟ホテルと呼ばれる宿に滞在しました。
また後述しますが、カッパドキアには古来から岩山をくりぬいて作られた住居で人々が生活しており、未だそうして洞穴に住んでいる人もいるそうなのですが、その中の多くは今ではホテルやレストランになっています。

洞窟ホテルの寝室。窓などないのですが、閉塞感はなくむしろとても落ち着く感じ。
だってこれ、自然の岩の中なのですよ。

バスルーム。洞窟ホテルの中は、自然と夏は涼しく冬は暖かいのだそう。
これまた、ニューメキシコのアドビ建築と同じです。自然素材の力ってすごい。

その宿に到着して、兄弟で経営しているというそこのオーナーと話をしているとき、じわじわと気がついてきたことがあったのです。
それは、「みんな・・・優しい!」・・・ということでした。

直前までいたイスタンブールでは常に警戒態勢でいなければならないくらいに人々が巧妙に、時には堂々と搾取してこようとするので、私たちはかなり気を張っていて、カッパドキアに来てからも人との交流では注意深く接していたのでした。
その延長線上で、その宿のオーナーと話をする時にも最初はどこか警戒してビジネスライクに接していたのですが・・・
いや、もう本当に、いい人たちだったのです・・・!!!
そして、思い返してみれば、カッパドキアに着いてから接してきた人たちは、みんなそんな感じだったことに気がつきました。
「あぁ・・・イスタンブールとは全然人が違うんだ!」

逆にそのイスタンブールでのやり取りを引きずって、ちょっと疑り深く嫌な感じになっていたのは自分たちの方だったことに気がつき、申し訳なく思ったほどです。
そんなこんなで肩の力が一気に抜けて、そこからは人々とのコミュニケーションがまた、楽しめるようになったのでした。

ここのオーナーの人柄を表すような、素朴で優しい雰囲気のダイニング。
私たちはここから屋上に出た席で朝食をとりました。

ギョレメでは、洞窟ホテルも素朴で可愛らしくてもっと何泊もしたかったなぁと思うほどにまたしても気に入ってしまったし、宿を通して予約をしてもらってディナーに出かけた近くのレストランも、味も雰囲気もとてもよくて大満足でした。

夜道を歩いても危険ではなくて、食事の後にお土産物屋さんを覗きながらふらふらと街を散歩していた時も、周りを取り囲む奇妙な岩のシルエットや段々畑のように入り組んだ建物の間を縫う坂道を歩いていると、とても幻想的で、なんだかおとぎ話の中にいるようでした。

レストランでの前菜。照明が暗かったので画像が粗いのですが・・・。
ドルマや、ナスやパプリカや・・・とにかくすべてが優しい味で美味しかった。

カーペットや、ラクダに付ける装飾品などを売っていたお土産物屋さん。
イスタンブールと違って商売っ気がなさすぎて、逆に何も買えませんでした 笑


そういえば、朝食の時に、先ほども書いたチャイのことで、宿のオーナーとの印象的な会話がありました。

「私はトルコに来てトルコチャイが大好きになってしまいました」などと話していて、「それに、このチャイグラスの絶妙な形がまたいいんですよね」と言うと、彼はこう言ったのです。

「そうそう。このカーブの美しさ。ここに指をかけて掴む、機能性と美しさを兼ね備えてるんだよね。アメリカ人なんかは、持ちにくいから持ち手をつけたらいいのにって言うんだけど、とんでもない!このシンプルな曲線がそのままある佇まいがいいのに。持ち手なんてつけたら台無しだよ」

それを聞いて私は、すごく感動したのです。
ずっと以前にもブログに書いたことがあるのですが、アメリカで陶芸をしていると、私が作る湯飲みなど、よくアメリカ人には「どうやって持つの?飲めないよ」とか、「持ち手をつけたら便利なのに」とか言われることも多くて、いやいや、そうじゃなくて・・・と思うのですが、その美意識ってなかなか伝わらないのですよね。
けれどこの時、「あぁ、トルコの人って日本人と同じような感性を持っているんだ」と知ったのです。
だからやっぱり、色々なところで日本を彷彿とさせられるんだな、と思いました。

そうそうこの曲線美、このシンプリシティがいいのです。


後に訪れたウルギュップという街でも、そんなことを感じさせられた出来事がありました。
ウルギュップは、カッパドキアで最後に訪れた場所だったので、何か買いたいなと思ってとあるお土産物屋さんに入りました。
ところがそのお店は、観光客用に店頭にわかりやすいお土産物を置いているだけで、実際は骨董屋さんのような感じで、奥の方は何やら古そうな物が所狭しと置かれたちょっと面白いお店だったのです。
私はその奥にある物たちに興味津々で、あれこれと手に取っては店主のおじさんに色々と質問をしていたのですが、ひとつひとつのものに対するその店主の想いというかエピソードが詰まっていて、なんだかとってもあたたかいのです。
そういうところも、ちょっと日本ぽいですよね。

例えば、私は真鍮でできたベルが気になったので、「これは何のベルですか?」と聞いてみると、

「それはね、家のドアに掛けるベルなんだよ。昔はこの辺りでは皆洞窟の家に住んでいて、それぞれの家がドアに違ったベルを掛けていたんだ。だから、ベルの音で誰の家がわかってね。あ、今フセインが家に帰ってきた、とか、あ、あの音はオズギュルの家だ、という具合にね。」

・・・もう、そのエピソードを聞いただけで、用途も何も考えずにそのベルを買ってしまいましたよね 笑

それから、お店のカウンターの側にマンドリンのような楽器が立てかけてあったので、それについて尋ねてみると、サズというトルコの民族楽器だと教えてくれました。

「これは売り物じゃなくて、僕が弾くために置いているんだけどね。」

そういって彼は、さらりとサズを奏で始めたのですが・・・。
最初の音を奏でたその瞬間、その場の空気が一気に変わったのを感じました。
現代の音楽とはまるで別物の、優美で繊細な民族楽器の音。
そこに店主の人柄が混じり合ったその音色はとても深く優しく、私の心の深いところにまで響くようで、なんだか涙が出そうになりました。

「ニャオ〜ン。よーこそカッパドキアへ!」
この猫ちゃんも人懐っこかった。みんな優しいね。


イズミルはさっぱりとしていて現代的だし、イスタンブールでは人々は忙しく商売っ気がたっぷりで、あまりこういった部分は感じられなかったのですが・・・
もちろん個々の性格もあるのでしょうけれど、カッパドキアではこんな風にトルコ人の持つ繊細な感性に触れられることがあって、なんだかそういうところが本当に心に沁みるというか、いいなぁ、あたたかいな、うつくしいな・・・と思ったのです。

雄大な大自然の中にいると繊細な感性が育まれるのだということは、ニューメキシコにいて実感したことなのですが、この土地もきっとそう。

人々はずっと昔からこの土地で、この空に、この大地に、そして人間の心の中にも、悠久の美しさを見続けているのかもしれない。
そしてその感性までもを、代々ずっと受け継いで来ているような・・・そんな場所なんだなぁ、と思いました。

ギョレメの夜道、空を見上げるとそこには、
トルコの国旗のような細い月が優しく輝いていました。


さて、次回はこのカッパドキアの不思議な地形と、謎の歴史について書いてみたいと思います。

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