Shadows and Light - Istanbul

A view of Istanbul from Harem, Topkapi Palace

前回、イズミルの記事をアップしてからなんともう早一年以上が経過していました…!
このイスタンブールの記事は、昨年書いて保存したまますっかり忘れていたものなのですが、せっかくなのでアップしてみようと思います。
この旅行からはもう二年以上が経っているのですが、写真を見ながら文章を読み返していると、五感を通して、つい最近のことのようにゾワゾワと記憶が蘇ってくるようでした。
これを読んでくださる方も、日常に居ながらして、このエキゾチックな街にトリップしてくれたらいいなぁ…と思います。


ヨーロッパとアジアを隔てる、ボスフォラス海峡。

「子供たちが 空に向かい 両手を広げ・・・」

イスタンブールのことを想うとき、私の頭の中にはいつも、久保田早紀の「異邦人」がどこからともなく流れてきます。
どこかなつかしくて、情熱と安らぎを同時に感じる。あらゆる時間軸が交差し、光と闇を一緒くたにしているような、そんな抗えない魅力を持つ不思議な街。


「私はイスタンブールにずっと魅了されてきました。ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国、三つの帝国の中心となった街なんて他にあるでしょうか。外国を旅しても、いつもイスタンブールの匂いを探してしまう。パリに行ってもすぐに退屈してここへ戻りたくなってしまう」

これは、とある雑誌のインタビュー記事に載っていた、トルコ人ジャーナリスト、アラ・ギュレルの言葉です。
イスタンブールに生まれ育ちながら、他のどんな場所よりもこの街に取り憑かれているその気持ちが、私にもなんとなく分かります。

たった2日間の滞在でしたが、この街はまるで複雑に織り込まれたタペストリーのよう。
東西の文化や人種の混じり合いに、長い長い歴史の積み重なり、人間と動物の共存、神聖さと猥雑さが隣り合わせに存在し、訪れる者を息つく間もなく魅了する・・・
そんな、美しいだけではない、悲しみや、祈りや、血や、光や・・・人間のありとあらゆるものが詰め込まれた、深く深く引き込まれるようなタペストリー。


実はトルコに行くことが決まった当初は、テロの直後だったこともあり、安全面を考えてイスタンブールには行かないでおこうと思っていました。
ところが、ボストンからイズミルまでのフライトでイスタンブールを経由した時、上空から見えたイスタンブールの光景に、私は完全に心を奪われてしまったのです。

ボスフォラス海峡によってアジア側とヨーロッパ側に隔てられた大陸の内側には所狭しと建物がひしめき合い、その所々にモスクの丸いドームが見え隠れするその姿に胸が高鳴り、居ても立ってもいられなくなって、
「行ったみたい!やっぱり行ってみたい!!」
そう、年甲斐もなく飛行機の窓に顔をくっつけて興奮しながら、固くイスタンブール行きを決意したのでした。

そうしてやってきた憧れのイスタンブール。
2日間のうちに、「まだまだ見たい、足りない!」という気持ちと、「あぁー疲れた、もうこんなのたくさん!」という両極端な気持ちを味わいました。
光と陰。ここは、本当に不思議な街。


空港からホテルまでの道は渋滞していて、タクシーの運転手のイライラと荒っぽい運転にドキドキしながらも、気分転換にボスフォラス海峡の方を見渡すと、ぼうっと煙ったようにすこし霞んでいる。
ホテル周辺の道は細く狭く入り組んでいて、まるで時代を遡ってどこか別の場所にたどり着いたかのように感じました。

空気は埃っぽく、ホテルの主人の話し方はいかにも商売人といった感じで鼻につき、荷物一つ預かってもらうのも少し不安がつきまとう・・・
完全に、私は「異邦人」。
そんな気分で、イスタンブールの旅は始まりました。


それでも、街を歩き始めると、そこで見えてきたのは普通の人々の暮らしでした。
お店を開けて支度を始める食堂のおばさんや、カフェでチャイを傍らにおしゃべりやゲームに熱中するおじさんたち。イズミルと同じようにあらゆるところで野良猫たちが寛いでいます。
公園を通りかかると、毎日の日課なのか男の人が鳥たちにパンくずをあげていて、そこに横から猫もすっと入って来て鳥との奪い合いを始めたり。
そんな、なんでもない日常の様子がとっても愛おしく感じられ、ほっとしたのでした。

ここでも人と犬猫たちは自然に共存。

イスタンブールを訪れたかった理由は、上記のトルコ人ジャーナリストの言葉にあるように、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と歴史の変遷を辿って来たこの街の空気感を感じてみたかったのと、ここ数年、私の中でイスラム建築やイスラム美術への関心が高まっていたので、それらの歴史的な建造物を見てみたかったからでした。

イズミルはわりと現代的な街だったので、あまりそういう感じは体験できなかったのですが、イスタンブールで初めて、目の前にブルーモスクのその荘厳な姿を見た時は・・・あまりの感動に、全身の細胞がふるふると震えるようでした。
そして内部へ入ると、今度は巨大な天井のドームや壁に施されたイズニックタイルの模様の繊細な美しさに息を飲み・・・
人々は、この緻密な模様の中に、どんなふうに神を見ているんだろうかと、私はその天井を眺めながらしばしその静謐な時の中に佇んでいました。

ブルーモスクと呼ばれるスルタンアフメット・ジャミィ。

繊細で美しい天井の模様。昔はもっと青かったそう。

ちなみにブルーモスクで最初に迎え出てくれたのはこの黒猫ちゃん。
フェンスの向こうから目が会うと、トコトコと向かってきて手にスリスリ。
とても人懐っこかった。


そしてキリスト教とイスラム教が融合するアヤ・ソフィア。
元々の名称「ハギア・ソフィア」はギリシャ語で「聖なる叡智」という意味を持つその場所には、なんと聖母子像と「唯一神アッラー」や「預言者ムハンマド」と書かれたアラビア文字が一緒に並んでいるのです。

というのも、ここはビザンチン帝国時代に建てられたキリスト教聖堂が、その後15世紀にはオスマン帝国によりイスラム教のモスクへと改修されたという歴史があるからです。20世紀にトルコが共和制にになると宗教施設としての役割を終え、現在では博物館となっています。

アヤ・ソフィアの内部。黄金色の厳かな煌びやかさ。

三対の翼を持つ熾天使セラフィム。ミノムシみたいで可愛い 笑

モザイク画「ディーシス(嘆願)」。
こういったキリスト教の宗教美術も好きで、ずーっと見ていられます。

これらのキリスト教の絵画たちは、オスマン帝国によって支配され改修されたときに、すべて漆喰で覆い隠され、20世紀に博物館となった後の修復作業をするまでは、ずっと漆喰の中で眠っていたのだそうで、それを発見した人たちは、きっとさぞかし驚いたことだろうなぁと思います。
文字通り、歴史が上塗りされているような。
すべてが過ぎ去った後にこうしてキリスト教とイスラム教が融合し、並んだ状態でここに置かれるなんて、まさかビザンチンの皇帝もオスマンのスルタンも、想像もつかなかったでしょうね。

数百年後、今の私たちの宗教戦争の跡を、未来の人々はこんなふうに展示していたりするのかな。その頃はもう、宗教も対立も無くなっていて、「昔は宗教なんていうものがあってね・・・」なんていうふうに説明されているのかもしれないな。
ふと、そんなことを考えてしまいました。

そしてここにも、解説ビデオを見ている人の間にしっかり一席取って
座り込んでいる猫ちゃんが。あまりにも自然です 笑

それから、偶然見つけて行ってみてとても良かったのが、バシリカ・スルタンでした。
ビザンチン時代に造られた地下貯水槽なのですが、まるで地下神殿のようで、異世界体験です。
そしてなにより、ビザンチン時代にこのような地下貯水池が造られていたことにびっくり。
昔の建築は例えこのような地下貯水池でも、機能性だけではなくデザインも美しく造られていていいなぁ、と思います。現代の建築は、どうしてあんなに無機質な感じのものが多いのでしょう。いつから人間は、芸術性よりも機能性を重視するようになったのかな。
この二つがバランスよくあることは、左脳と右脳、男性性と女性性のバランスが調和しているということではないのかなぁ・・・と私は思うのです。
もちろん時代ごとの流行というのはあるのでしょうけれど。


ちょっとした異世界感を体験できるバシリカ・スルタン。
映画「インフェルノ」のクライマックスシーンでも使われた場所です。

 バシリカの近くにも、いました。


そして、オスマン帝国の歴代スルタンの居城であり政治の中核でもあった、トプカプ宮殿。15世紀半ば、西洋のキリスト教世界を脅かし、地中海一帯に勢力を伸ばした一大帝国の中心となった場所です。
70万㎢という広大な敷地の中に、スルタンの宮殿他、側室たちが住まうハレムや離れ家など様々な建物に庭園もあり、当時は数千人の従者がここに暮らしていたといいます。

帝王の門。アーチの上、左右にはトルコの国旗にもある三日月と星が。
このモチーフには諸説あるそうですが、コンスタンチノープルの守護神がギリシャ神話の月の女神アルテミスであったことと、聖母マリアにゆかりの明けの明星ベツレヘムの星から、という説が気に入っています。


 こちらでも、庭園にはだらーんとワンコが寝ておりました。
観光客のことなど気にもとめず、ぐーたらりん。

私はここのハレムの建築にとても惹かれて、「ここに住みたい!」と思うほどに気に入ってしまいました。
中央の噴水を囲むように美しく装飾された小部屋が配置され、片側からは、モスクの丸いドームや塔が並ぶイスタンブールの街並みが一望できるという構造。
柱やドアや部屋の内部の装飾もどれも素敵で、イスラム建築好きにとってはたまらず、本当にため息が出そうでした。
ですが、考えてみればそこは後宮。当時は華やかどころか、政治的陰謀や陰湿な嫉妬がらみで女性たちの中で大変なドラマが繰り広げられていた場所なのですよね。
そういうことを感じてか、素敵だけれどどこか物悲しい雰囲気もありました。
けれど、そういう歴史をしっかりと刻んでいる場所だからこそ、惹きつけられるものがあるのだと思います。
建物だけじゃない、そこに生きていた人々の記憶を内包しているその場所そのものが生きているような、そんな場所がとても好きです。

ハレムの中央にある噴水。


イスラム美術が細部に渡り散りばめられた側室たちの部屋は、
それぞれ内装のデザインが違っていて、どれも素敵でした。


これらの素晴らしい歴史的な建造物をこの目で実際に見、その場の空気感をしっかりと感じられたことは、私にとっては感動そのもので、あぁ、イスタンブール・・・迷ったけれど本当に来てよかった!と心の底から思いました。
そして、ローマもビザンチンもオスマン帝国も、その全てが過ぎ去った後で、こうしてこれらの場所に「今」、静かに佇んで過去の歴史に思いを馳せていることを、なんだか不思議にも思いました。

そのほかにも、モスクの立ち並ぶエキゾチックな街並みを歩いたり、迷路のようなバザールで買い物をしたりということを楽しむ一方で、イスタンブールの猥雑な面も存分に体験したのでした。

例えば、バザールのお店ではいちいち値段交渉が本当に面倒だし、街角のレストランではお釣りを騙されそうになったり、スパイスマーケットでは見事に必要以上に買わされたし、道を歩けば妙な日本語で話しかけながらずーっとついてまわってくる客引きがいたり、とあるモスクでボランティアの青年にイスラム教の説明を受けると際限なく喋り続けて止められなかったり、イズミル以上にシリア人の難民がいて、お金を要求する子供たちに囲まれて身動きが取れなくなったり・・・
と、精神的にだいぶイライラさせられたりどっぷりと疲れてしまうこともあり、イズミルでは全くと言っていいほど必要のなかった警戒心を、このイスタンブールでは常に発動させていなければなりませんでした。

その両極のコントラストを体験して、わかったのです。
「あぁ・・・これが、イスタンブールなんだ」と。


光と、陰。

日本とも、アメリカともほんとうに違う。
長い長い歴史の中で、様々な国が、人々が交差してその都度表情を変えて来た土地。
その独特の空気感に、ちょっと身震いさえ覚えるような。
人間の持つ、欲や、夢や、愛や、悲しみ苦しみ、そして喜び・・・
どの時代も人々は皆生きることに一生懸命で、今でも彼らはずっと、その複雑なタペストリーを無意識にも織り続けている。

冒頭のトルコ人ジャーナリストの言葉を思い出すと、なんだかニマッと笑ってしまう。

魅惑的。でも、疲れる、腹が立つ、よくわからない。
だけどやっぱり、とてつもなく惹かれてしまう・・・

完全なる異邦人の私は、やはり例に漏れず、すっかりその魅惑的な街の虜となっていたのでした。

イスタンブール、貴方はまるで、面倒なのにどうしようもなく惹かれてしまう、恋のようだよ。

トルコの情勢はまだまだ不安定ですが、どうかイスタンブールが平和でありますように。


語らう乙女たちの傍らに、猫。平和なひととき。

May you be always in peace, Istanbul.

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