A Mystery behind - Cappadocia Ⅱ
Uchisar, Kapadokya, Turkey
今回も、トルコ旅行の続きです。
前回は私が感じたカッパドキアの土地柄や人の印象を書いたのですが、今回は、この不思議で謎に満ちた地形と歴史についてまとめてみたいと思います。
まずはじめに、カッパドキアとは都市や県の名前などではなく、トルコの中央部、標高1000メートルを超えるアナトリア高原に広がる一帯の呼称なのですね。
この不思議な響きの名の由来は、「美しい馬の地」を意味するペルシャ語に由来しているとのことですが、昔はこの辺りには野生の馬がたくさんいたのでしょうか。それともこの地の民族が美しい馬に乗る姿が印象的だったのかな・・・などと、古代オリエントらしい逞しくも美しい情景を思い浮かべてしまいます。
こんな奇岩地帯にもワンコが熟睡。平和だな〜
この地域に南北約50kmに渡って広がる奇岩群は、有史以前、ずっとずっと昔に起きた火山の噴火によって火山灰と溶岩が大量に堆積し、それによって形成された凝灰岩や玄武岩などの地層がその後長い年月をかけて風雨によって侵食されたために出来たものだと言われています。
どれくらい昔かというと、数百万年前とも数億年前とも言われているようで、本当のところはわからないようなのですが、どちらにせよ、こんな摩訶不思議な形の岩々が形成されるまでには、人間にとっては気の遠くなるような時間がかかっているということです。
そういうスケールって、ちょっと考えただけでも自分のちっぽけさを感じさせられて、いいなぁと思いませんか。
ラクダ岩。この形は各国共通の認識のようです。
しかもこの奇岩群、場所によって少しずつ形が違っていて、キノコ型や円錐型、尖塔型、煙突型・・・などなど、様々な表情を見せてくれているのも特徴で、目立つものには「ラクダ岩」とか「妖精の煙突」とか、ユニークな名前がつけられていたりします。それも、各国の旅行者によって呼び方が違ったりするようで、面白いのです。その国の文化や価値観が表れているのですね。
さらにさらに、実はここが地球上でも稀有な場所である理由は、このような大自然の作り出した一大芸術だけではなく、そこに人類が古くから営んできたことを目の当たりにするような、とても興味深い痕跡が残っているからなのです。
ウチヒサールの村。奇岩に無数の穴が空いている。
上部の小さな穴は鳩を呼び込み、肥料や燃料にするために糞を集めるためなのだそう。
前回の記事でも登場したギョレメやウルギュップの他、ウチヒサール、オルタヒサールなどこの辺りの町や村では、その岩々を削って造られた洞窟のようになった住居があちこちに見られます。
前回紹介した洞窟ホテルや、ウルギュップの骨董屋さんの話にあったように、この地域ではずっとずっと昔から、人々はこの奇岩に穴を掘って、そこを住居にして暮らしていたというのです。
そこに今も住んでいる人たちもいるということで驚きなのですが、私も洞窟ホテルに泊まってみてその心地よさを体感してしまったので、何だかわかる気がします。確かに現代的な建築物の方が色々と便利だとは思うのですが、それでも、なにか離れがたいものがあるのだろうなぁ・・・と。
ここはカッパドキアで一番高い場所にある村だそうで、
奇岩の洞窟を上の方まで登るとかなり眺めがいい。
後日、カッパドキアのドキュメンタリー映像を見ていた時に、洞窟の家で育った男性が実家に戻ってきているシーンがあって、それがとても印象に残っています。
彼は、奥さんが洞窟育ちではないために、結婚した後はその家を出て普通の家に暮らしているそうなのですが、今でも実家に戻ると、その洞窟の家の心地よさに心底リラックスして、「あぁ、これぞ”ホーム”だな・・・」と思うのだそうです。
今思い浮かんだのですが、あの洞窟のホテルで感じたあたたかさは、そういえば「胎内」のような感じだったのかもしれません。
それは、ニューメキシコに住んでいた時に、同じように自然の岩に空いた穴の中に入った時にも感じたのです。
何か有機的な、大きくて優しいものに包まれているような、不思議な安心感で満たされるのですよね。
発掘なのか修繕なのかわからないけれど、何かの作業をしていて
こんなふうに地下も開かれていた。
地球に、大地に包まれている安心感。
カッパドキアの人々が穏やかで優しいのは、先祖代々この洞窟の家で育ってきたからというのもあるのかもしれないなぁ・・・と思いました。
さて、この洞窟なのですが、このようにして岩を掘って人々がこの地に住み始めたのは、なんと、紀元前4000年とも7000年とも言われているようです。このあたりも、正確なところはわからないようですが、イズミルの記事でも書いたように、このあたりはとにかく歴史が古い・・・!
それもそのはず、人類の文明発祥地のひとつであるメソポタミアの近くですから、やはり相当古くからの人々の生活の跡が見られるのですね。
ウチヒサールにいた仲良しワンコ2匹。可愛すぎる〜
そしてこの地もイスタンブールやイズミル同様、歴史の支配者が変わるとともにいくつもの層に塗り重ねられていったようです。
分かっているところではアッシリア、そしてヒッタイト、その後はギリシャとペルシャの板挟みになり、さらにローマ、そしてビザンチン、オスマン・・・と、歴史の変遷とともに変化していったようですが、その立地からか、時代によっては時の権力から弾圧されたような人々が逃亡し、身を隠す場所にもなっていたようです。
内陸部の、それも高地のこんな岩だらけの土地は、ひっそりと暮らすにはうってつけの秘境だったのでしょう。しかも、ここの岩は柔らかくて掘りやすかったため、人々は洞窟を造りそこに隠れ住んだのだと思われます。
洞窟自体は先ほども書いたように何千年も前からあったようですので、元々あった洞窟に住み着いた人々もいれば、新たに掘って住み着く人々もいたりで、きっと徐々にその数を増やしていったのかなと思います。
そのように隠れ住んでいた人々の中で主に知られているのは、迫害されたキリスト教徒たちです。
ギョレメの野外博物館では、彼らが密かに信仰を続けながら岩山の洞窟で暮らしていた跡が、鮮やかなフレスコ画と共にしっかりと残っています。
ギョレメのオープンエアーミュージアム(野外博物館)。
古くはローマ帝国下、居場所をなくした初期のキリスト教徒たちが3〜4世紀ごろにこの地へと逃れ、その後キリスト教が公認されてからも人々はこの地に残って信仰に生きていたのですが、その後今度はイスラム勢力が強まると、またその弾圧を逃れてこの地へとたくさんのキリスト教徒たちが集まってきたといいます。
この地はキリスト教徒たちの修行の場ともなり、石窟教会の他に食堂や食料の貯蔵する部屋があったりと、当時の生活をうかがえるような感じがして興味深いのですが、何より、それがすべて岩山の中にあるというのがミステリアスですよね。
岩山にたくさんの洞窟が掘られていて、いくつかは中で繋がっていたりする。
ギョレメとは「見てはいけないもの」の意。
なんだかドキッとするネーミングです。
さらに驚くのが、その教会の内部は洞窟の中とは思えないほどに、見事に柱やアーチ状のドームなどの教会の建築様式が再現されていて、そこには一面、聖書の物語が再現された色鮮やかなフレスコ画が。
しかも、洞窟の中にあるため光が当たらずにいたお陰で保存状態が良いようで、本当に綺麗な色のまま残っているのです。
その彩色にはラピスラズリや酸化鉄などの天然の顔料が使われたそうで、私はその色の美しさに引き込まれ、しばらくその場に佇んで無言で天井を見つめていました。
特に、ラピスラズリの青色が今でも脳裏に残っています。
こんな風に階段を登って、高い場所にある石窟教会へ。
残念ながらそのほとんどが撮影禁止だったため写真には残せませんでしたが・・・
写真集を買ってくればよかったと、ここでも後になって後悔してしまいました。旅行中は欲しい!と思ったら迷わず買うべきだなぁ、としみじみ。
残念ながら内部のフレスコ画は撮影禁止。
外側にはこんな十字架のようなマークがたくさん描かれていました。
この赤いのは、酸化鉄かな?
さて、ここからカッパドキアのさらなる神秘、謎の部分に迫っていきたいと思います。
実は、この地にはこのような岩をくり抜いた洞窟だけではなく、なんと地下都市が存在しているのです。
それも、ひとつやふたつではなく、現在40近い数の都市が見つかっていて、それもびっくりするほど大規模なものなのです。
この地下都市も、キリスト教徒たちが隠れ家として使用していた事実はあるのですが、どうやら、それを作ったのは彼らではないようなのです。彼らは元々あった地下都市を発見、利用し、何世紀にも渡り拡張していったとのことで、つまりその地下都市自体は、もっともっとずっと昔からそこにあったようなのです。
有名なのはデリンクユとカイマクルの地下都市ですが、つい2、3年前にも新たな大規模なものが見つかり、現在発掘中だそう。これらの地下都市は全体的にまだまだ謎が多く、誰が何のために作ったのかは特定されていません。
オルタヒサールの街。中央は「城」と呼ばれる要塞で、
なんとウチヒサールと地下で繋がっているとのこと。すごい…!
どれくらいの規模かといえば、例えばデリンクユは現在公開されているだけでも深さ85メートル、地下8階で、その内部には炊事場、食堂、寝室、食料庫、ワイン貯蔵庫、学校や教会、家畜小屋や臨時の墓地など・・・まさに街のような感じで、約1万人が生活していただろうと推測されるというのですから・・・驚きです。
通気口や灌漑の設備も備わっていて、地上への出入り口は100箇所以上あり、その全てが頑強な岩の扉で閉ざされていて外部からの攻撃に備えているかのような造り。さらには9キロ離れているカイマクルまでも、トンネルで繋がっているという・・・なんだかこれって、まるで映画か漫画の世界ですよね。それも、ずっと昔、紀元前の話なのですから。
カッパドキア全体では10万人が地下で生活していたとも推測されるらしいのですが、長い年月の間に色々な存在によって拡張されていったとしても、一番最初にそこに地下都市を築いたのは一体誰だったのか・・・
オルタヒサールはあまり観光地化されておらず、とても静か。
人の気配もなく、鶏の声と風の音、そこにコーランが響き渡って、
なんだか時が止まったような、タイムスリップをしたかのような、不思議な感覚に。
ヒッタイトは旧約聖書にヘテ人として登場する、何世紀もの間架空の民族にすぎないと思われていた人々です。
それが20世紀に入ってからすぐ、ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャとみられる遺跡が現在のトルコ、ボアズカレに見つかり、彼らが実在したこと、そして優れた技術を持つ民族だったということが徐々に明らかになってきたのです。
彼らはある時から突如としてアナトリアへ現れ、紀元前17世紀には古代オリエントに一大帝国を築き上げました。世界初の製鉄技術を生み出し、バビロニアを滅亡へと追いやり古代エジプトをも脅かした彼らはしかし、それから500年の後、忽然と消えてしまいます。
「海の民」に滅ぼされたとか食糧難により滅亡したと言われているそうですが、実際のところはわからず、ただその後歴史上から一切その姿を消してしまったのでした。
地理的にも技術的にも、彼らならばこの地下都市を築けたのではないだろうか・・・と思えるのですが、問題は、「何のために」ということですよね。
周囲の国々を脅かした一大帝国が、こんな大人数を収容できる要塞のような都市をなぜ作る必要があったのでしょうか・・・?
オルタヒサールの民家のドアの向こうに、鶏たちが。
ここでひとつ面白い説が浮かんでくるのです。
「古代核戦争説」。つまり、昔々、この地で核戦争が起きて、これらの地下都市はそのためのシェルターだったのではないか?ということです。
ふふふ、これまたSF映画のようなことになってしまいますが 笑
でも、私はこういうのって、そうそうバカにはできないと思っています。例えば、古代インドの聖典であり歴史上最大の叙事詩「マハーバーラタ」には、ヴィマナという空を自由に動き回る乗り物と共に、まるで原子爆弾を投下したのとそっくりな兵器を使う戦争の描写が出てきます。
また、こちらも謎多き古代都市、インダス文明のモヘンジョダロでは遺跡から発掘された人骨の一部から高濃度の放射性物質が検出されたり、瞬間的な超高熱により溶けたガラス質の物質が見つかっていて、まるで核爆発があったようだとしか思えないとのこと。
旧約聖書にも、ソドムとゴモラという街が神により一瞬にして滅ぼされたという記述があり、その描写もまるで核兵器か何かのようだと言われていますね。
そして・・・ヒッタイトの首都ハットゥシャの遺跡にも、モヘンジョダロのように高温で煉瓦が融解した跡が見られるとか・・・。
つまり、古代の人々は、核戦争を恐れてこのカッパドキアの地にシェルターを作ったのでは・・・?という説があるのです。
トラックがのどかに石畳の道をゆく。
もちろん、こういった説は一般には語られないですし、私たちが現在認識している常識や歴史とはかけ離れすぎているため、トンデモ説にしか思われないことも多いでしょう。
もちろん、確固とした証拠もないし科学的に証明はできないのですが、同時に100%否定することもできないはずですよね。
それに、「科学的に」と言いますが、私は長年研究者の世界を横で見ていて、科学=論理性の世界って、結局、こうだと思った結論=持論がまずあって、それを証明するために有効な根拠「のみ」を集めていく作業なのだなぁと実感しているのです。
なので、決定的な真実が明かされるまでは、考えうる限りのあらゆる可能性を並べておいていいのではないかな、と思っています。それが例え現在の「常識」から外れていたとしても。
常識なんて時代と共に簡単に変わってしまうものですし、科学的に証明されたはずのものでさえ、時間が経てば覆されてしまうことも多々あるのですから。
こちらはウチヒサールにいたラクダくん。「過去に何があろーとかんけーないね」。
うん、そうだよね。
・・・ということで、事の真偽は現時点では絶対にわからないのですが・・・。
でも、そんなふうな視点も持ってみると、カッパドキアのまた違った面が見えてくるようで、ちょっとワクワクしませんか?
でも、これだけ語っておいて、実は今回は時間がなくて地下都市は見に行けなかったのです・・・あー、残念すぎました。
カッパドキア。
そこは予想していたよりも深みがあって、イスタンブールのようなインパクトとはまた違い、時間とともにじわりじわりと不思議な魅力が溢れてくるような場所でした。
人々のあたたかさ、美を見る感性、大自然による摩訶不思議な地形と、そこに住んできた人類の長い長い歴史の跡に、ちょっとしたミステリー。
それらが混じり合って、地球上他に類を見ないような、独特の雰囲気を醸し出しているのだなぁと思いました。
まだまだ、トルコの旅は続きます。