Japanese

あ〜 私って日本人だなぁ・・・
そう感じるのは、海外生活の醍醐味かな、と思います。
日本ではそんなに意識することもなかったのですが、やはりこちらでは色々な場面でそのように感じるので、そのたびに日本のことを思い出したり、また日本の文化や日本人、アイデンティティなどについて考えます。
よく色々な人から日本のことを尋ねられることもあり、いつも自分の知識の浅さや自覚のなさを思い知らされて、慌てて調べたり改めて深く考えたり・・・私にとっても日本についての価値観を見直すとても良い機会になっているなと思います。
そんな生活の中でひとつ思ったのは、海外の人がイメージとして持っている日本というものと、実際の私たちの生活とでは、かなりのギャップがあるということです。
彼らのイメージでは、日本はまず科学技術と経済の発展した国。
そして文化的なことで言うと、おもに寿司や魚などのヘルシーな食文化を持つアジアの仏教国というイメージです。
でも実際は、日本人はハンバーグなどの洋食やイタリアンやフレンチなども普通に食べるわけですし、またクリスマスやバレンタインなどの西洋化されたイベントの話を彼らにするととても驚き、興味深く聞き入ります。
外国語がカタカナ表記になって日本語化している言葉も多いので、英語が話せなくても単語は知っていて、なんで知ってるの?!と驚かれたりもします。
遠いアジアの小さな一国、しかも英語もあまり話せない人が多い日本で、なぜ自分たちの文化がそのように知られているのか、皆不思議に思うようです。

そうして考えるとたしかに、日本という国は色々な文化がミックスされた不思議な国だなぁと思います。
私は1970年代生まれなのですが、私が生まれた頃にはすでに日本は西洋化の一途をたどっていました。
朝食にはパンを食べたり、結婚式はウェディングドレスを着てチャペルで、という習慣が普通に生活の中に溶け込んでいたわけです。
そして今も、日本人の生活は衣食住のすべてにおいて色々な国のものを取り入れていて、日本独自のものを発見する方が難しいくらいではないでしょうか?
例えばこちらでも、郊外にドライブに行ったときにファストフードのドライブスルーに入り、そこでなぜか子供の頃の感覚を思い出したり、
フランス人の友人が作ってくれた正真正銘のフランス料理を食べて、日本の味と同じだ!と思ったり・・・
海外のものの中に日本を感じて、なんとも不思議な気分になることもたまにあります。
そしてこちらでいざ「寿司」を作ってほしいと言われると、なんだか ちょっと気持ちが引き締まり、物置にしまってあった昔の道具を久々に引っ張り出してきて、使い方をもう一度確かめるところから始めるような・・・そんな感覚になったりもして、妙な気分です。
いったい、ほんとうの日本の姿はどこにあるんだろう・・・?
今まで何も考えずに当たり前に日本で生活していた私は、ここにきて、日本という国について初めて深く考えたのでした。
そして、言ってみればそのミックスされた文化そのものが今のまぎれもない日本の姿で、実際私はそういう中で生まれ育ってきたのですから、それが日本なんだよと、そのまま伝えればいいだけなんじゃないのかな、と思いました。

何事も変化していくように、国だって生きもので、時代とともに色々な姿に変わっていくのは自然なことです。
それに、今の欧米化された日本の姿があるからこそ、これからはもっと日本独自の文化を守って大切にしていこうと思う人たちも大勢出てきていて、そういう気持ちがまた今後の日本の姿を変えていくことになるのだろうと思います。
そして、どんなに時代が変化している中でも、例え日本を離れて生活していたとしても、やはり自分は日本人だなぁ〜と感じる数々の瞬間が物語っているように、日本人としての精神は、きっと想像以上に私たちの中にちゃんと根付いていると思うのです。
どこにいても、何をしていても、感じる心は日本人。
日本で生まれて、日本という土地で色々なものを吸収して育ってきたのであれば、心配しなくても自分はちゃんと日本人で、それ以外のなにものでもないのだろうと思います。
なので、日本人であることに誇りを持ってただ自分らしくいることで、きっと必要以上にがんばらなくても、周りの人に自然と日本というものを伝えていくことはできるのだろうなと、今はそう思っています。
そしてその中で、出会った人たちに日本や日本人についていい印象を持ってもらえたら、こんなに嬉しいことはないなぁと思うのです。
そんなこんなで、色々なことを感じた思い出深いボストンでの生活も、いよいよ最後となりました。
3日後にはここを去り、次の土地、ニューメキシコのアルバカーキへ向けて出発します!
短い間だったのにも関わらず、気づけばたくさんの素敵な人たちとの出会いに恵まれて、とても充実した時間をすごすことができました。
最初は慣れない生活と寒さにどうなることかと思ってもいたのですが、今ではここを去るのがとてもさみしく感じられます。

昨日、友人と最後のさよならの後、すこし生ぬるい春の夜風に頬をなでられながら家路についていると、なんだかなつかしいような切なさがじんわりと胸にこみ上げてきました。
そしてふと、桜なんてどこにもないのに、なぜかちらほらと咲き始めた桜並木の下を歩いているかのような錯覚に陥ったのです。
折しも、日本では春は別れの季節。
毎年この季節に重ねてきた想いがオーバーラップして、今こうして異国の地でまでも、春の別れの気配に桜を思い浮かべるなんて。。。
日本人なんだなぁ・・・
と、またしみじみと思いながら、春の夜道を歩いて家に帰ったのでした。