My Journey through Maya


前回に続いて、ユカタン半島の旅から、今回はマヤ文明についてのお話です。

今回の旅の拠点とした、ユカタン半島の先端に位置するメキシコのカンクンは、カリブ海に面し、美しい自然に恵まれた場所です。
1970年代からメキシコ政府の手によって開発が始まり、今ではいくつものホテルが建ち並ぶ一大リゾート地となっていますが、それ以前は小さな漁村があるのみの静かなところだったそう。
ユカタン半島自体の歴史は古く、スペイン人によって侵略される前には、この一帯にはかの偉大なマヤ文明が栄えていて、その歴史は紀元前にまで遡ります。

一般的には、氷河期にベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に入ってきたモンゴロイドたちの中で、北米に定着した人々(北米先住民)を英語でインディアンと呼び、そのまま中南米にまで進んで行った人々は、スペイン語でインディオと呼ばれていて、マヤ人はそのインディオ=中南米先住民の一部族。
もちろん今でも、ユカタン半島にはたくさんのマヤ人たちが暮らしています。

マヤ神話の女神イシュチェルの像。
カンクン近郊の島イスラ・ムヘーレスにて。

以前ニューメキシコに住んでいた時に、北米インディアン(ネイティブ・アメリカン)の人々について知る機会が多く、同時に中南米のインディオについても興味が出てきたので、調べてみたことがありました。

自然を敬い、人生に対して謙虚な姿勢を保ちながら、日本人にも通じるような精神性を大切にして、国を作らずいくつもの部族が共存し続けた北米のインディアンに比べると、中南米ではマヤ、アステカ、インカと、ピラミッドや生け贄、独自の宇宙観などに代表されるミステリアスな文明が栄え、巨大な帝国を作り上げては滅亡するという歴史が繰り返されていて、なんだか謎に満ちています。
その謎を知りたくて扉を開こうにも、考古学からオーパーツ、はたまた宇宙人など、あまりにも幅広い情報がありすぎて、調べれば調べるほどによく分からなくなってしまい、解明どころか、謎はどんどん増えるばかり。

そのため、いつか自分の足でその場所へ訪れて、実際に遺跡を見たりその空気感を感じてみたいなぁと思っていたのですが、今回幸運にもそれが叶うこととなりました。
そして実際に行ってみたその印象はといえば、半島一帯に広がる密林とそこにひっそりと点在する遺跡の数々、そして今もこの地に暮らすマヤ人たちの姿に、リゾート地などという印象とはまるで遠くかけ離れた、静かで深くて、鬱蒼としたその密林のように、やはりなにかとてつもなく神秘的だな、ということでした。

観光地で手作りの民芸品を売るマヤの人々。
彼らはとっても手が器用なようで、見ている側で黙々と作品を作り続けていました。 
 
 モチーフは、ジャガーなどの神格化された動物の他、生/死、
太陽/月など二元性を表すものも多くて、陰陽のような東洋の
宗教や文化にも通じるところがあるように思いました。

所々で目にすることができた現代のマヤ人の住居や生活ぶりは、ニューメキシコで北米インディアンの人々の村を見た時と同じくとても複雑な気持ちになるようなものではあったのですが、それと同時に、背も低くアジア人のようにも見える彼らの外見や、穏やかで多くを語らず働き者であるところなど、何か親しみを感じずにはいられないものがありました。

また、半島中に途方もなく広がる密林の中にすっと伸びた一本の道路を車で走っていると、突然密林からふらりと上半身裸のおじさんが出てきて、しばらくするとまたすーっとその密林の中へと消えていってしまうといったことがよくあったのですが、いったい彼らはこの森の中でなにをしているんだろうか、いったいこの中には何があるんだろうか・・・そう思うと、私もこっそりと彼らの後を追って、森の中へ入っていきたくて仕方がありませんでした。

 どこに行ってもイグアナが。

大地がむき出しになっていたニューメキシコとは違って、密林に覆われ全てが秘められたかのようなマヤの地には、北米インディアンとはまた違った神秘性が感じられて、私にとってはリゾートなどよりもそちらの方がずっと興味深くて、心惹かれるものだったのです。


さて、数あるユカタン半島のマヤの遺跡の中で、今回訪れたのはチチェン・イッツァという、後古典期マヤを代表する古代都市遺跡でした。つまり、長いマヤ文明の歴史の中でもわりと終わりの方に栄えた都市で、だいたい西暦900年から1100年くらいのものなのだそう。

チチェン・イッツァのピラミッド、エル・カスティーヨ。
小さくて見にくいのですが、階段の下にはマヤの最高神ククルカンの頭部が。

世界遺産にも登録されているこの遺跡をみるだけでも、彼らがいかに高度な天文学や精密な建築技術を持っていたかがわかります。
たとえば、遺跡の中央にそびえるエル・カスティーヨと呼ばれるピラミッド。
大きな9段の階層からなるこのピラミッドは、4面に各91段の階段があり、それらを合計すると364段、そこに最上段の神殿を足して365段となり、これは一年365日を表しています。
また、各一面の9段の階層は中央の階段によって2つに分断されているため、一面合計18段となりますが、これはマヤのハアブ暦における一年の月の数、18ヶ月を表しているということなのです。

別のピラミッドのものですが、これもククルカンです。

これだけでもほ〜っと思ってしまいますが、さらに凄いことに、一年のうちで春分と秋分の日にだけ、このピラミッドにククルカンと呼ばれる最高神が降臨してくるというのです。
ククルカンとは、羽毛の生えた蛇の姿をした神様なのですが、このピラミッドの北面にある階段の最下段にそのククルカンの頭部の彫刻が施されていて、春分と秋分の日になると真西に沈む太陽がピラミッドを照らし、階段の西側に沿って、最上階の神殿から最下段のククルカンの頭部にかけて斜めに繋がる一直線の陰が映し出され、それがまさに蛇の胴体のように見えて、ククルカンが降臨しているかのごとく見える仕掛けになっているそうなのです。

遺跡内には他にもカラコルと呼ばれる天文台まであり、古代のマヤ人たちは複雑な金星の動きや周期までも正確に把握していたというのですから、驚いてしまいます。

千柱の間と呼ばれる、柱がずらーっと立ち並んだ場所。
なんだかこの場所では不思議な感覚になりました。

一方でギョッとしてしまうのは、やはり生け贄の儀式でしょうか。
ユカタン半島にはその地形上、セノーテと呼ばれる天然の泉がいくつも存在するのですが、それらは貴重な水源であったとともに、例えばチチェン・イッツァのような神聖な場所にあるセノーテは、生け贄を投げ込む場所でもあったのだそうです。

その生け贄となる者を決める儀式として、彼らはゴムでできた重いボールを使ってサッカーのようなゲームをしていたらしいのですが、興味深いことに、生け贄となるのは敗者ではなく、実は勝者だったのではないかという説もあるということなのです。
未だにどちらだったのかはハッキリしていないのだそうですが、もし勝者が生け贄とされていたのだとしたら・・・?それはきっと、彼らの文明では生や死に対する観念が、現在の私たちとは全く異なっていたのだろうということが推測されます。

生まれた頃から自分たちを大いなる宇宙の意志の一部だと理解し、魂の不滅を信じて生きていたのなら、死や生け贄でさえも、きっと今の私たちには考えられないような捉え方をしていたのではないのかな、と思いました。
現代でさえ、生まれた国の文化や教育を受けてきた環境によって、人々の価値観はびっくりするほど異なっているのですから。

チチェン・イッツァ内のセノーテ。アメリカの探検家エドワード・トンプソンが
この泉に潜って調査した結果、多くの人骨や財宝が発見されたそう。


チチェン・イッツァを訪れた後は、別のセノーテで泳いだり、マヤの人々の村を通り抜け、スペイン植民地時代の面影を残す街に立ち寄ったりしたのですが、そうして場所ごとに違った景色や人々の暮らしぶりを流れるように見ていくだけでも、この土地の長い歴史の中で交錯してきた人々と文化がまるで地層のように積み重なって、様々な性質を持ち合わせているのだなぁということを思いました。

ひとくちに「メキシコ」と言っても、そこには本当に様々な要素が入り交じっていて、それはもちろんアメリカでも、そして一見単一民族で平和に思える日本でも、同じことなのでしょう。

コロニアル・タウン、Valladolid の街の教会。

スペイン統治時代の雰囲気が残る街角にて。 Music on their backs!

立ち寄ったコロニアル・タウンでは、雑貨屋さんにてマヤのカカオを使ったチョコレート(中米はカカオの原産地で、マヤにおいてカカオは神性なものでした)を売っているマヤ人の女性に出会いました。
彼女はマヤ語を話していたのですが、ニコニコと人なつこいその笑顔に親しみがわいて、言葉は通じなくても楽しくやりとりをしたのですが、そうしたほんのちょっとしたことが、後になると実は印象強く残っていたりするものなのだなぁと思います。

私がリゾートが少し苦手だなぁと思うのは、その場所の経済的な発展度合いが例えば日本やアメリカよりも遅れている場所であればあるほどに、色々なものが見えてきて、とても複雑な気持ちになるからです(そして大体において、リゾート地とはそういった場所につくられています)。

素晴らしい遺跡や大自然でさえも観光地化され、旅行者はまるでアトラクションと化したそれらのツアーに大金を払い、当の地元の人たちはその真価に気がつくこともなく、ただのお金を得る手段としてしか認識していない・・・というのは、なんとも悲しい構図だなぁ・・と思いながらも、結局は自分もその外者の旅行者の一人にすぎず、表面的な観光にしか留まることができないことが、なんだかもどかしかったり、矛盾しているように感じるのです。

なんとかもう一歩踏み込んで、現地の人たちの生活や習慣に触れ合ったり、手つかずの自然を自由に探検してみたいなぁと思っても、それは普通に旅行で訪れるだけでは難しいことで、例えば研究者などの現地調査について行かせてもらったり、よほど現地にコネクションのある人に案内してもらわなければ叶わないことなのかもしれません。

いずれにしても、単なる好奇心だけではなくてやはりその土地や文化や人々に対して敬意をはらうことはとても大切なことだなと、今回の旅を通じてあらためて思ったのでした。

チチェン・イッツァの近くにあるイキル・セノーテ。
こんなふうに大地の真ん中にぽこんと巨大な井戸のように
穴が空いて地下水が湧き出ています。水深50m。
ここで泳いだのですが、それはとても神秘的な体験でした。


そんなユカタン半島の旅から帰って2ヶ月が過ぎたつい先日、ボストンの科学博物館でマヤ展が開催されているということで行ってきました。
主に子供向けの博物館なのでどうなのかな、と思いながら行ったのですが、展示の説明も分かりやすく、実際に訪れた遺跡のことを思い出しながらひとつひとつじっくりと見られたので、見応えがあって、大人でも充分に楽しめました。 

けれどもその中で一番印象的だったのは、展示の最後に流れていた、現代のマヤの血を引く人たちのインタビューをまとめたビデオだったのです。

 "Maya:Hidden Worlds Revealed"より。マヤの王たちのレリーフ。

「一番恐ろしいことは、私たちが過去の既に失われた民族だと思われていることです。そうではなくて、私たちは今でもこうしてここで生きています。そのことを世界中の人に知って欲しい。」と語っていた、マヤ人の村で伝統の手刺繍を紡ぐ女性。

マヤの血を汲むメスティーソ(インディオとスペイン人の混血)として生まれ、「メキシコ人」として現代的な生活をしている自分のアイデンティティについて、複雑ながらも爽やかに語る男性。

幼い頃にアメリカに移住し、大人になってから故郷のマヤの村を再び訪れた時、その美しさに、自分のルーツにあらためて恋に落ちてしまったという、ホンジュラス出身の女性。

外見からはマヤの血が入っていることを誰にも悟られないのだけれど、そのことを常に誇りに思い、子供が生まれた時にマヤの暦の名前をつけたという、美しいメスチーソの女性アーティスト。

そういった彼らのインタビューを見ていると、私があの旅行中に、最も知りたいのに決して辿り着くことができなかったものがそこにはあって、なんだか涙が出そうになりました。


北米インディアンのことを目にした時にも感じていた、複雑で、辛くも情けなくも思えた気持ちは、私の中でずっと消えることはなく、何かの切っ掛けでいつも沸き上がってくるものでした。
そして、過去と現在、そして未来の彼らの姿を思うとき、それは決して他人事などではなくて、私たち人類の姿そのものだと思うのです。

そのビデオの中で彼らは、その複雑な問題を体現して生きている生身の存在として貴重な意見を語ってくれていたのですが、その姿に私はなにか希望の光のようなものを感じて、そして涙が込み上げてきたのです。

歴史やルーツよりも何よりも、実は一番大切なこと。
それは、「今」その人が幸せに生きているかどうか。結局は、そういうことなんだろうな。

ビデオを見終わってそう思ったとき、私のマヤの旅も、ようやく終わったような気がしたのでした。

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