Under the Winter Sunshine



2015年になりました。明けましておめでとうございます!

ボストンの12月後半は例年に比べるとわりとマイルドな気候だったので、もしかしたらこの冬はずっとこんな感じで、あんまり寒くならないのかな?・・・などと淡い期待を抱いていたのですが、それもあっさりと覆され、この年末年始はぐぐぐぐっと寒くなりました。

今は少し上がったのですが、つい先日までは一日の最低気温がマイナス20℃を下回るような寒さで、ちょうど年末から風邪をひいていたこともあって、お正月ははずっと家に籠りきりでした。
あ〜ぁ、年明け早々・・・とも思いましたが、12月は忙しく過ぎていってしまったので、ゆっくりと昨年のことを思い返したり新しい年のことを考えたりする時間を持ててちょうどよかったのかもしれないなと思い、開き直ってゆっくりと休んでいました。

三日月のような木の切り株に、雪化粧。

アメリカでは、11月の終わりのサンクス・ギヴィングからホリデーシーズンが始まり、社会全体がお休みというかお祝いムードになるのですが、それがクリスマスにはピークを迎え、大晦日、元旦と徐々に落ち着いてゆき、年明け2日から通常の生活に戻る・・・というような流れになっています。
ホリデーはワクワクして楽しげなのですが、どこか落ち着かない感じもするので、それが終わると、やっぱり普通の日常がいちばんだなぁと、ちょっとホッとします。

ホリデーシーズンを象徴する赤い鳥、カーディナルと
寒空を覆う薄い雲に透けた、神秘的な太陽。

そういえば、アメリカに来てからは、年々暦を意識することが少なくなってきています。
日本の祝祭日やイベントなどの感覚は薄れていき、かといって日本人なのでアメリカの祝日などもいまいちピンと来なくて、結果としてカレンダーからは遠ざかるように。
日本の行事を恋しく思う気持ちはもちろんあるのですが、元々あまりイベントごとに縛られるよりは自由気ままに行動したい方なので、実は解放感も感じていたりします。

私は昔からずっと、時計やカレンダーから自由になって生きたいな、という漠然とした思いがあって、わざと腕時計をするのをやめてみたり、平日に休みをとって行きたい場所に行ってみたりということをしていたのですが、そんな小さなことでも、なんだか世間一般の流れから自由になった気がして、気持ちが良かったのです。

凍えるほどに寒いけれど、そこには冬にしか見られない美しさが。

そういうわけで、アメリカ人にとっては最大のイベントであるサンクス・ギヴィングやクリスマスも、私としてはどこ吹く風のような感じなのですが、例えば1年前、2年前のサンクス・ギヴィングはどこで誰と過ごしていたんだったかな、と思い出すことで、その当時の環境や人間関係や自分の心境までも思い出すことができるので、アメリカに来てからの成長度合い?を計るちょうど良い目安のようにもなっていて、そういう意味では私にとっても実は重要な日になっているのかもしれない・・・と最近ふと気がつきました。

今回のホリデーシーズンは、サンクス・ギヴィングもクリスマスも友人、知人宅に招待してもらってとても楽しいひと時を過ごしました。
サンクス・ギヴィングは、韓国人、コロンビア人、ブラジル人、チベット人、アメリカ人という、アジアと南米に偏りつつもインターナショナルなメンバー、そしてクリスマスは日本人の中にひとりインド人というメンバーで、こちらは社会のことから科学、芸術まで幅広い話題が登るユニークな集いでした。

ボストンで私が一番面白いなと思うところは、やはりその土地柄、様々なバックグラウンドを持つ人々と出会えることです。人種や職業はもちろんですが、こちらでは年齢差があっても同等ですし、さらに、例えば家族の形態がユニークだったり、ゲイやレズビアンのカップルもいたりと、本当にバラエティーに富んでいます。

例えば日本に帰って実家などで過ごしていると、あぁ〜やっぱり私は日本人だ、落ち着くなぁ…と思ったりするわけなのですが、逆に、そうやって様々に異なる人たちの中にいるときにも、なぜだかすごーく落ち着く感覚になることもあって、不思議だなぁと思います。

お気に入りの郊外の海辺。
ネイビーとモーヴ色に染まる日没時の東の空はいつ見ても感動的。
海は冬でもフレッシュな気分にさせてくれます。

昨年も、これまでの縁が更に深まったり、新しい出会いがあったり、自分からトライしたことも降ってわいたようなことも、様々な経験をさせてもらいました。
その時はそんな風に感じる余裕がなかったりするのですが、後で一年を思い返してみると、とても充実していたなぁと思います。

まだまだだなぁと思うこともたくさんあるけれど、昔よりも、自分にダメ出ししたり、後悔をすることは少なくなって、それよりも、ただ思うままにやってみよう、経験してみよう、全力でやってみよう、とにかく楽しもう!という気持ちの方が大きくなってきました。
これは、アメリカが持つおおらかさのお陰かな、と思います。

失敗を恐れたり、自分を制限してしまっては、つまらないですよね。
それよりもシンプルな気持ちで臨むことで、思ってもいなかったような自分の力や新たな一面に気がつけて、枠が一気に取っ払われるような体験をすることも多いのです。
といってもそれはそんなに大層なことではなくて、日々の小さなことの中にこそ活かされてくるものではないかな、と思います。

12月に久しぶりに訪れたボストン市内。
石やレンガ造りの建物が多いボストンは、冬が一番お似合いだなと思う。

出会いといえば別れもつきものですが、最近はそういうことに関してもちょっと意識が変化してきました。
例えば、出会ってせっかく仲良くなった相手がしばらくして引っ越してしまうような時にも、それを別れのように思うことはなく、それよりも、ひとつ世界が広がっていくような感覚になるのです。

人と人との縁はほんとうに不思議なもので、切れたように見えてもまたどこかで繋がったり、困難だった関係が後々かけがえのないものへと変化することもあります。
もし今物理的、感情的に別れたと思ったとしても、またいつかどこかで会うかもしれない、変化するかもしれない・・・そう思うと、 長い時間軸のある一点だけを見て、どうしてこれで終わりだなどと断言できるでしょう?

それに、たとえもう会わなかったとしても、亡くなってしまったとしても、その人と出会ったことによってもたらされた変化、その後もずっと自分の中に息づくものというのは誰にもあるものだと思います。
そして何かの拍子に、あの人だったらこう言うかなぁ・・・などと勝手に想像したりするとき、その人は確かに自分とともにいるのです。

数年前に、ドキュメンタリー映画で、
「人と人とは、別れられないんだよ。出会うだけなんだ。」
という言葉を聞いてぐっときたことがあるのですが、本当にその通りだな、と思います。

出会いしかないのです。

元旦の海辺。向こうにはボストンのビル群が見える。空にはカモメと飛行機。

さて、今年はとくに新年の抱負などを立てたりはしなかったのですが、私の中ではもう何年もずっと同じテーマが進行中です。

自由であること。シンプルであること。愛で行動すること。好きなことをして生きること。そして最終的にはそれらを通して人々や地球に貢献すること。

一見、それは大きなことを言っているように聞こえたりして、私自身も以前はそう思っていたのですが、実は日常的な小さなところでもできることは沢山あって、実際に気づかないうちにその一端を担っていたというようなこともあると思うのです。
全ては繋がっているので、今の自分のできる範囲で始めることで、思わぬところに幸せの種を蒔いていたりして・・・そうして連鎖していくと思うと、ワクワクしますね。

今年一年、皆様にとって良い年になりますように!
 
2、3日前にはついに近所の池も雪で真っ白に。
今年もさっそく少年?たちが、凍った池の上でアイスホッケーをしていました!

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