The City of Dawn
Tulum Ruins
ユカタン半島、メキシコのトゥルムを訪れた時のお話の続きです。
よく考えてみると、もうここを旅してから1年もの月日が経ってしまっているのですが、こうして写真を見ながら思い返していると、まるで今すぐにでもまたそこへと戻っていけそうな不思議な感じがします。
先日知人と話していたら、「私は旅から戻ると、もうパッとすぐに日常に切り替わっちゃいます。」と言っていて、へぇ〜私とは正反対なんだなぁ…と思ってしまいました。
私はとりあえず一週間は旅先での感覚が残っているし、その後も現地で購入してきたものを日常生活で使ったりその国の料理を作って楽しんだり、こうして時間が経ってからでもブログを書いたりして、延々と旅気分を味わってしまうのです。
その分例えば帰ってきてからしばらくは、ふわふわと地に足が着いていない感じがしたり、何かに集中している時はいいのですが、ふと集中が途切れると途端に意識がポ〜ンと旅先に飛んでいってしまって、ちょっと危なっかしいのかもしれませんが。。。
さて、トゥルムではあいにくの大雨で散々な思いをしたというのは前回のブログに書いたのですが、そんな中でも2つのマヤ遺跡を訪れることができました。
開放感あふれるトゥルムの遺跡。
ひとつ目はまだトゥルムに到着してすぐ、雲行きはだいぶ怪しくなってきていたのですがまだ雨が降り始める前に訪れることのできた、その名もトゥルム遺跡です。
こちらは入り口からまず城壁を抜けるのですが、そうして遺跡内に入った途端にちょっとびっくり。
一昨年に訪れたチチェン・イッツァのように、マヤ遺跡とは鬱蒼とした森の中にあるものだとばかり思っていたのですが、ここトゥルムの遺跡はなんとカリブ海に面した、広々と開けた場所にあったのです。
ミステリアスで呪術的な香りのするマヤ遺跡のイメージとは違って、視界を遮るようなものもなく、その構内にはヤシの木や南国の花々がチラホラと点在し、なんだかとっても空間が広くてのんびりした空気感…。
わー、なんかここすごく好きだなぁ…と思ったことを覚えています。
わー、なんかここすごく好きだなぁ…と思ったことを覚えています。
そしてなぜか、何年か前に訪れた沖縄の首里城のことをふと思い出しました。なんだかその空気感が、すこし似ているような気がしたのですよね。
プリメリアかな。可憐でかわいい、南国の花。
この通り、空模様は今にも…という感じだったのですが、
とっても気持ちのいい空気感が漂っていました。
とっても気持ちのいい空気感が漂っていました。
トゥルムは紀元後1000〜1400年頃に栄えたマヤ文明末期の城塞都市。東側のカリブ海に面した海岸線を除いた残りの三方は、ぐるりと城壁に囲われています。
海沿いに位置していることも、このように城壁に囲まれていることも、マヤの遺跡としては珍しいとのこと。
その城壁のある理由なのですが、まずはもちろん外敵から身を守るためだったということの他に、この街は神官などが多く住む神聖な場所であったためなのではないかともと考えられているそうです。
チチェン・イッツァにもあったように、ここにも形状は違うのですがピラミッド式のエル・カスティーヨと呼ばれる大神殿があり、上部にはククルカンという蛇の姿をした神の彫刻があったり、冬至の日にだけ光が入る窓や、太陽などの天体の動きを観測していた場所などもあったり。
自分たちの神々を絶対的に信仰し、優れた天文学の知識を持つ神秘的な文明の面影は、ここでもしっかりと見ることができました。
チチェン・イッツァにもあったように、ここにも形状は違うのですがピラミッド式のエル・カスティーヨと呼ばれる大神殿があり、上部にはククルカンという蛇の姿をした神の彫刻があったり、冬至の日にだけ光が入る窓や、太陽などの天体の動きを観測していた場所などもあったり。
自分たちの神々を絶対的に信仰し、優れた天文学の知識を持つ神秘的な文明の面影は、ここでもしっかりと見ることができました。
ハラチ・ウィニクの家。
大宮殿とも呼ばれているので、きっと位の高い人の家だったのかな。
メキシコの中心部や中米、グァテマラといった土地から、黒曜石やターコイズ、翡翠などを輸入し、それらをチチェン・イッツァやこの後に訪れたコバなど、ユカタン半島にある他のマヤの都市に流通させていたそう。
そして反対に、ユカタン半島からは陶器や石器などが集められ、ここから外国に向けて船で輸出していたということで、本当に立派な貿易港だったようなのです。
なんだか勝手なイメージで、マヤ文明というのは閉ざされてひたすら濃密な神秘性を保っていたように思っていたので、こんな開放的で外交的な一面を知って驚いてしまいました。
現代でも、海沿いの街と山の中にある街とでは雰囲気も人々の性質も違うように、もしかしたらこのトゥルム遺跡に住んでいた人たちは、マヤ人の中でも開放的で、活気あふれる人々だったのかもしれませんね。
しかも、後で知ったのですが、なんとこの街、当時は建物がすべて青かったのだそう。
復元図を見てみると、ターコイズ色のペイントに、酸化鉄のような赤がアクセントのように施されていて、私の好きな色合いでもあったのでとっても驚いてしまいました!
遺跡というともう元の石などの色がむき出しになり褪せた色合いが当たり前で、それがいいなぁと思うわけなのですが、実はギリシャ彫刻なども、もともとはカラフルな色彩が施されていたそうで、それを知ったときにはかなりの衝撃を受けました。
ギリシャ彫刻は真っ白な大理石のままであって欲しいなぁ…と思ってしまうのですが、このトゥルムの色彩はとても素敵で、ぜひ実際にこの目で見てみたかったなぁ…
しかも、後で知ったのですが、なんとこの街、当時は建物がすべて青かったのだそう。
復元図を見てみると、ターコイズ色のペイントに、酸化鉄のような赤がアクセントのように施されていて、私の好きな色合いでもあったのでとっても驚いてしまいました!
遺跡というともう元の石などの色がむき出しになり褪せた色合いが当たり前で、それがいいなぁと思うわけなのですが、実はギリシャ彫刻なども、もともとはカラフルな色彩が施されていたそうで、それを知ったときにはかなりの衝撃を受けました。
ギリシャ彫刻は真っ白な大理石のままであって欲しいなぁ…と思ってしまうのですが、このトゥルムの色彩はとても素敵で、ぜひ実際にこの目で見てみたかったなぁ…
ここは確か、横から大エル・カスティーヨ(大神殿)に続く階段。
この手前に、「いつか時が来たら、この海から神が現れ、すべてが変わる」と
この手前に、「いつか時が来たら、この海から神が現れ、すべてが変わる」と
信じられていた、というようなことが書かれていて、ちょっとドキリとしました。
そんな風に、数百年の栄華を誇っていたと思われるトゥルムですが、1518年ついにスペイン人によって発見されてしまいます。
しかも、海沿いにあるトゥルムは、マヤの中で一番最初に発見された都市だったのですが、たどり着いた海辺にこんなにも素晴らしい文化建築を見つけることになるなんて、きっとスペイン人たちもさぞかし驚いたことでしょう。
「大航海時代」とはヨーロッパ人の目線に立った呼び方に過ぎませんが、それにしても冒険の末に未知の美しい文明を見つけた時の感動といったら、それはそれはもう、息をのむほどの大発見だったのではないかなぁ…と思います。
けれどもそれは悲しくも、侵略と文明の滅亡へと繋がってしまうわけなのですが。
「大航海時代」とはヨーロッパ人の目線に立った呼び方に過ぎませんが、それにしても冒険の末に未知の美しい文明を見つけた時の感動といったら、それはそれはもう、息をのむほどの大発見だったのではないかなぁ…と思います。
けれどもそれは悲しくも、侵略と文明の滅亡へと繋がってしまうわけなのですが。
トゥルムはスペイン人からの攻撃にあっても、その後70年ほどは抵抗し生き延びたのだそうですが、最後は持ち込まれた疫病によって終焉を迎えたのではないかと言われています。
今では遺跡はイグアナたちの住処に。
遺跡に行くと必ず感じることが、どんなに栄えた文明でも大都市でも美しい建築でも、永遠に続くものなんてないんだなぁ…ということです。
そうそう、トゥルムは、古くは「サマ」と呼ばれていたそうです。
「夜明けの街」という意味だそう。
東の海辺に立つこの城塞都市では、毎朝ユカタン半島の他のどの場所よりも早く、陽が昇るのを眺められたのでしょう。
正面に見えるのは風の神殿。
マヤの時代、ここから昇る朝日はどんなだったのかな。
…ところで、遺跡を回っている途中で、ついに雨が降ってきてしまいました。
そのためメインのエル・カスティーヨや他の建造物の写真をあまり撮ることができなかったのですが、あの気持ちの良い空気感や、天候によって大荒れに荒れたカリブ海の眺めなど…遺跡の一つ一つというよりは、あの場所全体の雰囲気を、いまでもしっかりと覚えています。
それに、あの場所で打たれた雨も、なんだかとても野生的で気持ちが良かったのです…!
次は、この後に訪れたコバ遺跡のことを書いて、ユカタン半島の旅を終わりにしたいと思います。