Scents of Time


先月、一年ちょっとぶりに日本に帰国していました。
いつも秋から冬にかけての帰国だったので、今回はひさしぶりに
爽やかな新緑の季節に帰れることを、出発前からとても楽しみに
していました。

最初空港に降り立った時の感覚は、いつものあの不思議な違和感。
けれども渡米してから4回目の帰国となる今回は、去年よりもだいぶ
ギャップが少なくて、段々とアメリカと日本でのバランスの取り方が
慣れてきたのかなと思いました。

とはいえやっぱり、振り返ってみると、3週間の滞在の最初の頃は
まだまだアメリカ的な感覚で過ごしていたのが、最後の方にはすっかり
日本らしく変化していたように思えて、なんだか可笑しく思います。
どこにいても変わらない自分、と思いつつも、やっぱり環境の影響は
大きいんだなぁと実感しました。


帰国して一番うれしいことは、何をおいても家族や友達など、大切な
人たちに会えること。
なかなか、会いたい人全てに会いにいくことはできませんでしたが
それでもひょいっと電車に乗れば会いにいけるような距離の、同じ
時間帯の中にいるんだと思うだけで、気持ちが全然違います。

普段はそんな人たちから離れて海外で暮らしていることを寂しく思う
ことも多々あるのですが、今回帰ってみて気づいたのは、
例えば同じ日本に住んでいる友人同士でも、お互い忙しくてそんなに
頻繁には会えていないのだと聞いたりすると、例え一年に一回でも、
「帰国」ということを名目にちゃんと会えていることは、実はとても
ラッキーなことなのかもしれないな、とか、
18歳から親元を離れている私にとっては、帰国している間に家族と
一緒に暮らすように生活できること、それもこんなにも大人に
なってからそれができるというのは、実はとっても幸せなことなの
かもしれないな、とか、そんなふうに考えられるようになりました。

大切なのは、距離ではなく、心の結びつきや愛情なのだなぁ、と
何だかあらためて気づいたような気がします。


不思議だったのが、とっても久しぶりのはずの友人なのに、しばらく
話をしていると、なぜだかつい先週くらいにもこうしておしゃべりを
していたかのような、そしてまた来週あたり会えそうな、お互いに
そんな気分になったり、実家の台所で朝ごはんを食べながら、窓の外の
揺れる木立や小鳥の姿をボーッと見ていると、ふと、なんだか私は
ずっとここに暮らしていて、こうして毎日ここでごはんを食べている
かのような感覚になったり・・・そんな瞬間がいくつかあったのです。

そんなとき、時間や空間って何なんだろうな、と不思議に思います。

ちょっと違うのですが、でも似たような感覚になったことが去年にも
あって、それはもう何年も前にスペインのマドリードで会った友人が、
ボストンへ引っ越してきて、久しぶりに会ったときでした。
一緒に夜のボストンを歩いていると、ふと数年前にも夜のマドリードを
みんなで酔っぱらいながら、同じように歩いていた時のことが重なって
うまく言えないのですがとてもとても、不思議な気分になったのです。
あの時と今とは、全く違う世界のような気がしていたのに、実は
繋がっていたんだな・・・そんな風にも思いました。

アインシュタインの相対性理論だったり、「時間と空間は同じ」と
いう概念だったり、頭ではどうも理解しきれなくても、なんとなく
感覚的にはこういうことなのかもしれない・・・そんなふうに思う
瞬間が、ときどきあります。


今回の帰国で、長年ぶりに再会できた幼なじみが、二人の息子たちを
連れて私の実家へ寄ってくれた時にも、そんなことを感じました。

庭で立ち話をしている間に、彼の息子と私の甥っ子たちが夢中で遊び
ながらどこかへ姿を消してしまったので、彼らを探しに、幼なじみと
家の裏庭を通って、敷地の裏に流れる川の土手へと抜けていった時の
こと。

今はもう干上がってしまった池や古いお蔵、おおきな椎の木。
ずっとずっと、私が子供の頃から変わらないその風景に、幼なじみが
しみじみと「うわぁー・・・なつかしい・・・」と言ったその言葉に
いろんなことがざわざわっと蘇ってきたのです。

「この木に登って遊んだよね?」
「なんか色々やってたよね。秘密基地とか言ってさ〜」

それは日曜日のちょうど正午頃で、頭上で重なり合った木々の青葉が
風に揺れて光と影が交差し、まだ少し湿った地面や盛り上がった木の
根っこの上に、チラチラとさざ波のような模様をつくり出していました。
その中を歩きながら、私たちは色々と思い出話をして、そして土手に
上がろうとしたその瞬間、突然、強い風がヒューッと吹いてきました。
それがたったの一瞬だったのか、それとも数秒だったのか分からない
けれど、そのとき、私は自分たちが小学生の頃に戻ったかのような
感覚になったのです。

ふと我に返ってそのまま土手へ上がると、五月の爽やかな光の中、
向こうから子供たちがこちらへ向かって元気に駆け寄ってきました。
すると今度は、笑顔で走ってくるその子供たちの姿が、なんだか子供の
頃の自分たちの姿のように見えたのです。
まるで大人になった自分たちが、子供の頃の自分たちを迎えにきた
かのような・・・。

それはとても幸せでノスタルジックで、魔法をかけられたかのような
特別な時間でした。



ボストンに戻ってきてみると、出発前はまだ芽吹いてすらいなかった
木々が、その葉をわさわさと生い茂らせ、街中が緑でいっぱいに
なっていました。
たった3週間ほどの間に、景色が全く変わってしまい、まるで別の
場所へ戻ってきたかのようです。

アパートの部屋に戻ると、馴染んだはずの自分の部屋が、まるで
誰かの家へおじゃましたかのように見慣れない感じがしました。
木のテーブルも、ラグも、自作の器の並んだ棚も、確かに自分の
ものなのに、何か見知らぬエキゾチックな場所のよう。
窓から差し込む光も季節の変化とともに出発前とは表情を変え、
それがより一層、空間の雰囲気を違ったように見せていたのかも
知れません。

しばらくの間、私は時差ボケと疲れでボンヤリとした意識の中で
日本でもアメリカでもない不思議な時間の狭間で、その非日常的な
感覚を楽しみながら、いろいろなことを思い出していました。

なつかしい場所。過ぎ去ったはずの時間。見知らぬ匂い。

人生の中で時折、時間と空間が織り成す魔法のようなサプライズ。
それは何でもない時に突然訪れて、この世界がただ真っすぐ一直線に
進んでいるだけではないのだということを、私たちに見せてくれる
ような気がします。

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