Summer Days in Maine
Portland, ME
9月に入ってから、すっかり秋めいてきたマサチューセッツ。
空は高く、空気はからりと、どんどんと秋らしさが深まってきています。
最近ではジャケットやブーツを着用する日も多くなり、ついこの間まで
蒸し暑くてタンクトップにビーチサンダルで過ごしていたのになぁ・・・
と思うとなんだか不思議な気分。
そんな中、この夏に撮ったフィルム写真が現像から上がってきたので、
もう少しだけ夏の思い出に浸ってみようかな、と思います。
前回にも書いた、メイン州にある友人のお家には、結局この夏の間に
三度も訪れて、それぞれ数日間滞在させてもらい、とても良い時間を
過ごすことができました。
メインというと、最近ではポートランドが商業的に宣伝されていますが
本当のメインというのはほとんどの部分がカントリーサイド。
そんな風に言っては何なのですが・・・でも、私はその雰囲気が大好き
なのです。
マサチューセッツを出て車を走らせてぐんぐんと北上し、そのうち
ニューハンプシャーを越えて水辺が見えてくるとそこはメイン。
気温もぐんと下がり、そのせいか水の色もマサチューセッツとは
違って見える気がします。
何でかなぁ、と空を見てみると、空の色もなんだか違う。
空気も澄んでいるので、北の方に来たんだなぁ、という感じがして
清々しく、爽やかな気持ちになります。
その友人宅は、ポートランドからもさらに北上すること一時間ほど。
その小さな街には大きな川がゆ〜ったりと流れていて、二度目、
三度目の訪問時にはもう、「あぁ〜帰ってきたぁ」なんて不思議と
ホッとしている自分がいて可笑しいなぁと思いました。
川沿いにはまるで映画にでも出てきそうな古〜いアパートのような
ビルが建っていてその河原はガラクタ?アート?が山積みになって
野良猫たちの楽園になっていました。
初めて彼らの家を訪れたときはもう夕刻になっていて、7月だという
のに肌寒いことに驚きながらも庭に出ると、私は一目でその場所が
大好きになってしまいました。
手入れのされすぎていない、バックヤードというにはちょっと広すぎる
まるでちょっとした林のようなお庭。
さらにそこには、私が最近好きだなぁと思っていた、チベットの五色の
旗が張られていたのです。
チベットの旗、タルチョ。
青・白・赤・緑・黄の五色は天・風・火・水・地を表している。
そしてその時、その庭の奥のまさに林との境界線のような場所から、
ひょこっと一頭のうつくしい鹿が現れました。
「あら、この夏初めてだわ!あなたたちラッキーね。」
と友人に言われてドキドキしながら見つめていると、その鹿の方も
逃げずにしばらくの間、じーっとこちらを見つめているのです。
すらっとした肢体に、純粋な大きな黒い目。
薄暗くなってきた裏庭にすっと佇むその姿はなんだか精霊のよう。。
「きっと恐れを知らないのね。まだ若い仔鹿なんじゃないかしら。」
そう言った友人は、次の日その仔鹿の名前を「イノセント」と名付け
ました。
結局この夏イノセントが現れたのはあの時だけだったようで、
歓迎してくれたのかなぁ、なんて、ちょっと嬉しい気持ちになりました。
バックヤードにはブラックベリーやラズベリーも自生していて
夕食時になるとそれぞれ入れ物をもってベリー摘みに行くのが
楽しみでした。
背丈以上もある茂みの中で、瑞々しくぷっくりとしたベリーの実を
そっと摘むと、簡単にポロン、と 手の中に落ちてきます。
その感覚が、とても楽しい。
そうして摘まれたベリーたちは、ヨーグルトやアイスクリームに
添えたり、パイになったり。
自然の恵みがこんなふうに日常的にすぐ側にあるなんて、ほんとうに
うらやましいなぁ、と思います。
ベリー摘みに夢中になりしばらく時間を忘れていたのち、ふと我に
返って空を見上げてみると、そこにはなんと雨上がりの大きな虹が。
あまりにもきれいで、そして完璧なタイミングで訪れたサプライズの
ようで、思わず「わぁ・・・!」と声をあげてしまいました。
時々、魔法にかけられたような時間というのがあると思うのですが
あの時も、まさにそんな感じがしました。
特別なじかん。
7月の満月。友人宅から。
ある夜は、皆で一緒にスライドで昔の写真を見ました。
その友人夫婦はお二人ともアメリカ人ですが、70年代の初めには日本で
暮らしていたのです。
そこで旦那さんは陶芸を学び、アメリカの大学でアートを先攻していた
奥さんの方は、版画などを学んだのだそうです。
それ以前にも、二人はアジアや中東を中心に世界の色々な場所を旅して
回っていたので、たくさんの写真たちがスライドになって長い間埃を
かぶっていたのを、その夜、久しぶりに見てみようということになった
のです。
カシャン、カシャン、と昔なつかしいスライドの音とともに、様々な
場所で撮った写真を見せながら、彼らはひとつひとつ、そこでの
エピソードを話して聞かせてくれました。
京都の祇園祭。小鹿田焼きの土をつくる伝統的な行程。
インドにチベット、アフガニスタン、イスラエル、イタリア・・・
それらのすべてが60〜70年代のもので、なんだかとても貴重なものを
見せてもらっているように感じました。
「僕たちが行った場所で、今はもうない場所がいくつもある。
本当に本当に美しい場所が、戦争や近代化によって壊されて
しまったのは、悲しいことだね。」
そう旦那さんがポツリと言ったことが、なんだかとても重たく感じ
られました。
アメリカが世界一だった時代に自分の国を出て世界を見た目は、今でも
しっかりと息づいて、その後の人生にも確実に影響を及ぼしているんだ
な、ということは彼らの暮らしぶりや人柄をみていてもわかります。
実際に、実の娘さんの他にアジアから養子を二人迎えていたり、人との
繋がりを大切にしたり・・・少しの間ですが、色々と見ていて、家族と
いう概念についても枠を取っ払われるような、そんな感じがしました。
そして、その根底には、国境を越えてこの地球上の平和を願う気持ちが
あるのです。
次の日、私たちは皆でマイケル・ジャクソンの"Heal the World"を歌い
ながら、海へと出かけました。
この夏、たくさんのインスピレーションや経験を与えてくれた友人に
心から感謝です。
次は、寒くなりすぎる前にまた行きたいなぁと思っています。
Heal the world. Make it a better place!