Fragments of my memories
2012年の始まりの朝。
故郷の浜辺で臨んだ東の空は、雲が出ていたけれど
太陽の朱色がぼんやりと全体ににじんで
まるで水彩画のように美しい夜明けでした。

この年末年始は、久しぶりに日本で過ごしました。
寒さが苦手な私は、冬はあまり得意ではないのですが
久々に味わう日本の冬の空気は、何か特別な時間の中に
私を引き込んでいってくれるようでした。
日本から離れて暮らしているお陰か、私の感覚は以前に増して
ずうっと日本的なものの美しさに惹かれるようになっていることに
気がつきました。
それはまるで新しい視点を授かったようで、
きっと昔だったら何でもないようなことやものなのに、
胸が熱くなったり、逆に心がしん、と鎮まりかえったり。
やわらかな冬の日射し。
どこか白くぼんやりとしたその光の中で、ふと目に留まる雑草が
とてもかわいい。
あ、これは、小さい頃にいつも見ていた草だ。と、思い出して
今でも変わらずそうして足元に根を張っていてくれることに、
何だか感謝のきもちがこみ上げる。
以前は嫌いだった、安っぽいビニールやプラスチックの生活用品が
何とも言えず愛おしく思えて、思わずカメラのシャッターを切ったり、
コタツにみかんの、ちょっと堕落してしまいそうな幸せを堪能しながら
その後ろで、コンロにかけた薬缶がぴゅーっという音に、
心底ほっとする自分を発見して、なんだか可笑しくなってしまう。
日本の湿度のある寒さは、足元からひんやりと忍び寄り、
全身にしみ込んできて、たまらない。
そんな中、洗い立ての洗濯物を干す手がかじかんで、
あーぁ、アメリカだったら、乾燥機でラクチンなのになぁ・・・
そう思いながらも何かその作業をなつかしく、じんわり感じている
自分がいたりもするのです。
マゼンダ色の椿に山茶花。
なんでこんな寒さの中、こんなにも鮮やかに咲いているんだろう?
昔はそんなこと、考えたこともなかったのに。
水仙は今も昔も素朴で可憐で、好きな花。
稲が刈り取られて久しく空っぽになっている田んぼでは
ムクドリたちが何かをしきりに突ついて忙しく、
空には、鳶が気持ち良さそうに円を描いている。
あんな風に飛べたらいいのにと、そういえば、子供の頃から
いつも思っていたっけ。
板前の従兄弟が毎年届けてくれる、美しくしつらえられたおせち料理。
父のお手製の門松。
子供の頃は、家族みんなでお餅を搗いたものだったなぁ。
あの、餅米を蒸かす匂いがなつかしい。
紅白なますの器にするため、甥っ子と畑に摘みにいった柚子が
あまりにも良い香りで、今夜はこれをお風呂にいれてみようかなぁと
そう考えるだけで、なんて幸せなんだろう、と思う。
子供の頃から自然に転がっていた鉢や徳利。瓢簞の実。
これは一体何だろうと、疑問にさえ思ったことがなかったものについて
改めて考えてみたとき、世にも素晴らしい大発見をしたかのような
清々しい気持ちになって、また私はくすっと笑ってしまう。

そんな、この冬の記憶の欠片たち。
また一年、皆が幸せな気持ちで過ごせますように。