Junk Yard


ついこの間までニューメキシコを美しく彩っていた紅葉も
すっかり終わり、今日は雪もちらほら・・・
だんだんと、本格的に冬の気配が感じられるようになりました。

もうすぐ今年も終わりかぁ・・・。

毎年12月になるとこの一年を振り返ってしみじみとするのは
いかにも日本人らしいことなんだな、とこちらへ来てから思うのですが
今日も私はお気に入りの場所で、そんなことを色々と考えていました。


今年になってから、私は陶芸を始めました。

昔からやってみたいなぁとは思っていたものの、日本では伝統工芸の
イメージが強くてなかなか一歩を踏み出せずにいたのですが、
まさかこんな場所で始めることになるなんて。

人生における出会いとは、いつも絶妙なタイミングでやってきて
本当におもしろいものだなぁと思います。


初めて土を触ったとき、何とも言えない至福感が身体の底から
こみ上げて来るのを感じました。
そしてろくろを回すときの、まるで禅のような、ヨガの瞑想のような
心地よい集中の時間。

プリミティヴさと繊細さが同居したそのバランスが私にはとても
しっくりときて、なんだか遠い昔に置いて来てしまった
大好きなものに再会したかのような喜びがありました。

そういう訳で、もうここ数ヶ月はずっと、スタジオに通っては
こつこつと作業を続ける毎日なのですが、その中で私はもうひとつ
とてもほっと落ち着けるお気に入りの場所を見つけてしまいました。

そこは壊れたトラックやドラム缶が横たわる、スタジオの裏庭。
木のテーブルや椅子が無造作に置かれていたり、過去のアーティストや
陶芸家たちが置いていった作品たちがそこかしこに散らばっている、
まるでガラクタの庭。


初めて来たときから、なぜだか私はこのガラクタだらけの裏庭が
大好きになってしまい、いつも作業にひとしきり没頭すると、
この場所に出て、光や風を感じて、大きく深呼吸をします。

風に吹かれた木々のざわめきや、ときたま裏手を通る電車のゴトゴト
という音は耳に心地よく、時々風が止むと、まるで時間が止まったか
のような静寂が訪れます。

そんなとき、強い日射しに映し出されたガラクタたちは、どきりと
するほどに鮮やかで、無言のうちに何かを語りかけてくるよう。


裏手を走る線路の向こうに側に落ちる夕陽は、ときどき信じられない
ような赤さを伴って沈んでいき、今の季節は枯れ木となった細い枝々が
くっきりとしたシルエットとなってそこに浮かび上がります。

陶器を焼く窯からは懐かしい焚き火のような匂いが漂ってきて、
気がつけばずいぶんと白くなった吐く息に、ほのかに郷愁の気持ちが
沸き上がってくるのでした。


私はいつの間にか、子供の頃、家の敷地内にあったガラクタが
置かれた空き地で、父が枯れ葉を集めて焚き火をするのを
弟と一緒に手伝っていたことを思い出していました。

真っ赤な夕焼け。カァカァとおうちに帰ってゆくカラスたち。
焚き火の匂い。メラメラ、パチパチと燃える炎。

ふと見ると、父の吐く息は白く、弟のまぁるいほっぺは
真っ赤になってはちきれそう。

ちょっともの寂しくて、でも何だか心の底からほっとする。

そのうち、母が「ごはんよー」と呼びに来ると、私たちは急いで
火を消して、家の中に駆け入っていくのでした。


あぁ、これって、私の心の原風景なのかぁ・・・

そんなことを思い出しながらその庭に佇んでいると、いつの間にか
横に並んで夕陽を見ていた陶芸仲間が、しみじみとつぶやきました。

"Junk yard..."

その言葉は、さらなる郷愁の念を伴って、じんわりと私の胸に
沁み入ってきました。

彼ももしかしたらその時、遠い記憶の中にある何かを思い出して
いたのかもしれません。

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